2000年 9月 の投稿一覧

シドニーオリンピック観戦記-その1|ニュースレターNO.007

オリンピックも終板に差し掛かりましたが、これまでの日本選手の活躍や各種競技を見ていろいろ感じたことを書いてみたいと思います。

 

オリンピックを見て感じたこと

まず水泳ですが、メダル獲得者が出たとはいえ、全体にはコンディショニング不足、ピークのズレがあったと思います。それは自己記録近くに達しない選手が多くいたことです。新聞などでは、「やはり内弁慶であった」と書かれていましたが、明らかにピーキングがうまくいかなかったように思えます。

ピーキングのズレた状態は、前半はそれなりに行くのですが、最後でエンストしてしまう状態になることです。

メダルを狙える女子の選手にそれが明らかに見られました。4月にピークを持っていったことがやはり大きく影響しています。4月、5月と海外遠征も結果が良かったことは、それなりのレベルは2~2.5ヶ月続くと言うマトヴェーエフ理論そのものです。それから9月までの期間ではうまく調整が出来ないことは明らかでした。

今回の水泳陣の結果は、調整ミスではなく、試合計画、ひいてはピリオダイゼーションの理解不足が考えられます。メダルの数は増えましたが、本来はもっとメダルラッシュが期待できたはずです。アトランタと同じミスを犯しており、進歩していないとしか考えられません。

 

結果を残すために必要なこと

陸上の選手も同じことが言えますが、陸上の場合は女子のマラソンを除いてほとんどが予選通過レベルの選手が出ており、最終目標が決勝に残るような状況です。その中で自己記録に遠く及ばずに敗退する現実は何をもの語っているのでしょうか。オリンピックと言う舞台は、「特別なもの」、「異常なもの」であり、「魔物がいる」とは正しく的を得た言葉だと思います。

その中で自分の力を100%発揮しなければ目標の突破はありえません。世界を制するものは、女子マラソンの高橋選手を含め、何かが違います。その違いの1つは、その選手が持つ目標の高さ・レベルと確固たる自信だと思います。常に世界記録レベルの目標を持って一段ずつ階段を上がっていく努力の積み重ねが必要なのです。

それも長い目で見なければいけません。そのような考え方と精神的に人並みはずれたものを持っていなければ、オリンピックと言う舞台では力を出せないのでしょう。

今回のオリンピックを見て感じることは、マトヴェーエフが「実験室のデータは役に立たない。オリンピックや世界選手権の舞台と同じデータが得られるはずはない。そこに危険性がある。」と言いました。正しくそのとおりです。どれだけ現場となる競技や大会での結果を分析し、当然個人の特性も分析して、試合に望めるか、それが結果につながるわけです。

超人にも超人といわれるまでに時間も段階もあり、けっしてすぐに超人になるわけではありません。1つ1つ、step by stepの重要性を再認識しました。日本人的には「地道な努力」が必要だと言うことです。

その中でもう一度確認したいことは、地道な努力でその競技に見合った身体づくりと体型づくりをすると言うことです。日本のスプリンターはもっとハムストリングスと殿筋が目立つような体型にならないものかといつも思います。大腿四頭筋を鍛えて、ハムストリングスを使って走っているような状況になっていないかでしょうか。

水泳選手では、外国選手の水中でのプルの強さとパワフルさがしっかり見て取れました。主要な筋肉の理解とその強化方法、そしてその到達レベルの理解が必要になると言うことです。

L.P.マトヴェーエフ氏をたずねて|ニュースレターNO.006

9月にロシアに行き、マトヴェーエフ氏にお会いしPeriodization理論の変遷とトレーニング理論の変遷について話を伺ってきました。今回は、Periodization理論について、マトヴェーエフ氏の見解を紹介したいと思います。

 

ピリオダイゼーション理論について

まずPeriodization理論の中で、準備期、試合期、移行期の長さをどのようにして決定したのかという質問をしました。それについては、何千人もの選手の詳細にわたる練習・試合記録の分析から出てきたものであり、その調査も個人の数年間にわたるものであったといいます。

それで各期間について、例えば1年周期では、準備期が5~6ヶ月、試合期が4~5ヶ月、移行期が6週間と提示されていますが、これはあくまでひとつの指標であり、個人によって調整されるものであるといっておられます。同様に、準備期の中の一般的準備期と専門的準備期についても選手個人によってすべて調整されるものであり、明確に表示できるようなものではないといわれました。

それがトップを目指すアスリートのトレーニングなのであるとも。まさにその通りだと思います。我々はあまりにも、「何」を、「何回」、「どれだけ」というような具体的な数字を求めすぎているように思います。そんな魔法の定規はないということです。

提示された期間に従って、エクササイズをきっちりやれば誰でも同じ結果が得られることはありえないということです。それは理解できるはずです。

したがって、Periodizationの批判に関しても、Periodizationはトレーニング理論の中のトレーニング構築に関するひとつの局面(部分)でしかないということであり、その中にある準備期、試合期、移行期のサイクルは変化しないものであり、その期間はコーチが調整するコーチの技量が求められる部分であるといわれました。その期間を決定することは、1つに1年周期にするのか、半年周期にするのかというところから始まります。

結局は、コーチがどれだけその競技・種目について理解できているか、また適応に関して理解できているかが基本となり、後は選手個人の特質というか、身体的、精神的、栄養、生活環境などに関してどれだけ詳細なデータを持つかによって適切な各段階の期間を設定することができるということなのです。まさしくトレーニング・練習・試合を計画するためのプロが必要になるということです。

 

スポーツフォームについて

特にポイントは、スポーツ・フォーム(ベストコンディション)と呼ばれる最高のコンディションの状態をつくり上げ、それを段階的にレベルアップさせることにあり、一時期、一時だけよい記録が出ても、それはスポーツ・フォームを作り上げたことにはならないのです。

継続し、1年単位で段階的な発達を見せることなのです。マトヴェーエフ氏は個人記録の1.5%の上昇がないと、完全なスポーツ・フォームができたとはいえないといわれました。それ以下の達成であれば、当然やるべきことは、データとプランニングの見直しなのです。

Periodizationについて、モヤモヤしたものがありましたが、これですっきりしました。選手個人のデータ分析と段階的なプランニングにあるということであり、そうすることによって選手が将来に出せる記録が予測できるようになります。指導者としてパーフェクトな理解が必要です。