2002年 9月 の投稿一覧

ロシアから帰って|ニュースレターNO.055

9月8日から6度目のロシア訪問でした。今回は、マトヴェーエフ氏に4回もお会いすることができ、たっぷりといろんな御話を伺うことができました。ご自宅で3回、アカデミーで1回話しを伺いました。

今回の最大の目的は、「ピリオダイゼーション」というものの意味について深くお話しをお聞きすることでした。それは、現在いろんな形で「ピリオダイゼーション」という用語が使われだしたからです。

「ピリオダイゼーション」という用語は、マトヴェーエフ氏が1950年代に最初に使われた用語で、そのことから年間を準備期、試合期、移行期の3つの周期に分けるマクロサイクルという意味で理解がなされ、日本では「周期化」や「期分け」などと訳されています。それが、現在では、単なる「期分け」という意味で「ピリオダイゼーション」という用語が用いられるようになっています。

このような使い方は、アメリカ型の考え方から来ているもので、マトヴェーエフ氏のいう「ピリオダイゼーション」とは全く異なるものです。私は、「ピリオダイゼーション」という用語は、マトヴェーエフ理論として使われている意味で使われるべきだと思い、「ピリオダイゼーション」という用語の語源などについて知りたかったので、今回のロシア訪問ということになりました。

やはり想像どおりで、「ピリオダイゼーション」という用語を用いられた経過には、あらゆる検討がなされたようです。その経緯や本質的なことについては、今年の研究論文としてまとめるつもりです。

マトヴェーエフ氏は、アメリカで使われている「筋力トレーニングのピリオダイゼーション」というような用語の使われ方は、間違いではないが、それは私の「ピリオダイゼーション」とは意味が違うといわれました。

「ピリオダイゼーション」というものを知れば、当然その違いは歴然としているのですが、マトヴェーエフ氏のピリオダイゼーションについて正確に知られていないことが原因しているかもしれません。むしろ、「期分け」というものと、「ピリオダイゼーション」というものを区別して使う必要があると思います。

今回いろんなお話しをお聞きしてわかったのですが、マトヴェーエフ氏が半年サイクルと年間サイクルがあることを見つけられた経緯について間違って理解していました。それは、記録データを並べてベスト記録を更新するのにどれくらいの期間かかったかという事を10万件の記録変動データを分析したと思っていたからです。

そうすると、今年と来年のベスト記録は簡単にわかるのですが、半年サイクルの場合には、どのようにしてそれがわかるのか、疑問があり、具体的な3年間の記録表を作成し、これをどのように見ればよいのか、直接たずねました。

マトヴェーエフ氏はそれを見て一言、「これでは何も解からない」といわれました。それは、このような記録・結果になった裏づけを見なければならないし、そのデータと比較する必要があるということです。

すなわち、トレーニングの量のデータが必要であるということです。記録の変動とトレーニング量の変動を比較するのですが、半年サイクルか年間サイクルになっているかというのは、トレーニングの量の変動を見て決定するそうです。したがって、選手のトレーニング量の把握ができていなければ、何もいえないということです。だから、トレーニング量の管理が必要なのであるということです。

なるほど、完全な思い違いをしていました。私と同じ質問をする人間が多いようです。そんな人たちとは同じデータを持っていないのでディスカッションにならないといわれました。なるほどそうです。

これまでマトヴェーエフ理論を批判してきた人たちのほとんどが、トレーニングの量に関する詳細なデータをもっていたとは考えられませんし、トレーニング量と記録の関係を見ていた人はほとんどいなかったと思われます。マトヴェーエフ氏は言われました。トレーニング量の計算は、大変だった。

コンピューターや計算機もなかったので、研究員たちは、みんな筆算で莫大な数値の計算をしていたんだと。確かに毎日のトレーニング量を365日分計算するだけでも大変な作業です。

これまでマトヴェーエフ氏の論文など目を通してきたつもりなのですが、トレーニング量と記録の関係、それもトレーニング量の変動から半年サイクルと年間サイクルを想定して記録の変動を調べたという理解はできませんでした。

私の見落としか、理解不足なのか、隠れていた部分なのか。マトヴェーエフ氏に直接話を伺ってわかったことのように思います。私も本を書いているので解かりますが、1つ1つ細かなところまで書けません。

そのことが疑問になったりすることもよくあることですので、やはり著書に直接話が聞けることがベストだと思います。しかし、ロシアにいたマトヴェーエフということであれば、アメリカ人も当然日本人も本人の意図を知ることはできず、単に用語が流れ、知らず知らずのうちにその意味も変化していったと考えられます。

私自身は、やはり「ピリオダイゼーション」という用語は、マトヴェーエフ理論の意味で使って欲しいと思いますし、「期分け」と明確に使い分ける必要があると思います。

6回目のロシア訪問を前に|ニュースレターNO.054

9月8日よりロシアのマトヴェーエフ氏のところに出かけます。今回のロシア訪問は、今間違って使われている「ピリオダイゼーション」という意味をもっと深く知るためです。それと、ロシアのスポーツの歴史を探ってきます。

さて、8月の終わりには、水泳のパンパシフィックという大会がありました。テレビではまるでオリンピック並みの扱いです。さほど意味のない大会なのに、なぜこの時期にやるのか、9月の終わりにはアジア大会があるというのに、全く理解できません。それと、テレビ局が単なる番組を製作したという感じしかしなかったのは私だけでしょうか。芸能人の水泳大会的雰囲気にも感じました。この大会の意味がどこにあるのか、選手のトレーニング計画の妨げになったに過ぎないと思います。

水泳協会がダメなのか、テレビ局がダメなのか。当然テレビ局がおかしいのであって、まるでオリンピックでのメダル獲得と勘違いさせてしまっているところがありました。金メダル、日本記録、世界記録、こんなことばが飛び出しつづけましたが、オリンピックの中間年に新記録や金メダルがどのような意味をもつのかまったく理解できておらず、見ていて腹立たしい思いがしました。

おそらく水泳協会には多額のお金が入るのかもしれませんが、そのために選手の最大の目標であるオリンピックでの活躍がフイになるかもしれないほど、この大会の影響はあると思われます。情けないことです。

民放各局の国際大会のアナウンサーの実況中継は、恥ずかしい限りです。スポーツ・競技をどのように観ればよいのかわかっておらず、やたら大きな声で怒鳴るだけです。観ている人にとっては耳障りでしかありません。静かにして欲しい、画面に集中させてくれといいたくなります。

野球の中継でも思うのですが、カメラワークのまずさも目に付きます。顔のアップが多すぎて、フィールド全体や投手と打者の間合いなどが観て取れません。まさに芸能番組化されてしまっています。アナウンサーの本来の務めとはなんなのでしょうか。

今回の中継でひどかったのは、泳ぎ終わった選手に対して水の中でインタビューしたことです。恥ずかしい限りです。こんなことは考えられません。芸能番組そのものです。またインタビューについても、水泳に限らずインタビューアーのレベルの低さをいつも感じます。

必ず「今日のレースはどうでしたか」、「どんなことを考えていましたか」、お決まりのインタビューです。もっと勉強してインタビューの内容を考えて欲しいものです。

話を戻して、オリンピックの中間年に、それもほとんど意味のない半国際大会にピークをあわせる事の重大さがわかっていないということです。外国選手は観光気分で来ていることがよくわかるのに、日本選手だけが世界の頂上を目指している状況になっていました。明らかな長期計画の間違いであり、競技プランの間違いです。

2004年のギリシアを目指すなら、むしろ今年は、基礎のレベルアップを図る充電期であるはずで、2003年から質を上げていくべきです。こんな単純なことが解からない、また基本的なトレーニング計画、競技計画がわからないようでは、2004年のオリンピックの結果も想像がつきます。選手がかわいそうです。今大会で活躍した選手の、2004年の活躍は、ことばは悪いですが、見ものといえるでしょう。

私に言わせれば勝手過ぎる大会で体調を崩し、それがこの先のトレーニングに大きく影響を及ぼす危険性を心配していたら、やはり萩原智子が過呼吸になり、レースを棄権するというハプニングというより起こりえることが起こってしまいました。

脳波などの精密検査を受けた結果、疲労とストレスが原因だろうということでした。だれの責任なのでしょうか。選手のトレーニング時間はもどすことができません。体調回復のために、何か月かかるのでしょうか。当然、こんなちっぽけの大会より大きな意味のあるアジア大会も棄権することになりました。かわいそうというしかありません。

指導者や競技団体は、何を目的にしているのか、何を考えているのか、最大の目的はオリンピックで結果を出すことではないのでしょうか。基本的な勉強が足りないとしか言い様がありません。選手に対して無意味なピーキングがその先にどのような悪影響を与えるのかわかっていないからです。

単純なトレーニング計画で、いつでもピークを作れると勘違いしているからです。ピークは作れても、最高のパフォーマンスが発揮できなければ何もならないわけです。そのときのピークではなく、マトヴェーエフ氏の言う『スポーツ・フォーム』です。新たに最高のパフォーマンスができる準備が整った状態を作ることです。

2004年にこれまでより高いレベルのパフォーマンスが発揮できる準備をするのが、オリンピックの中間年のはずです。したがって、結果や記録にこだわる必要性は全くないわけです。

なぜか、愚痴ばかりになりましたが、今回のように水泳に限らず他の競技でもよく見られることです。大きな試合に参加するたびに、単純に、金メダル、日本記録、世界記録という言葉が飛び出します。新聞もご同様です。新聞記者ももっと基礎の勉強をして、一番大切なところの間違いを報道して欲しいものです。

メディアのレベルがこのようなものですから、当然競技レベルもそれに合わされているのかもしれません。「だれだれがこんなことをして強くなった」、それをそのまま伝えてしまっていることがほとんどです。そこで何の考察もなく、とんでもないことがさも素晴らしいトレーニングになったりしてしまっていることの恐ろしさをもっと知って欲しいものです。