2004年 6月 の投稿一覧

モスクワから帰って|ニュースレターNO.097

先週の金曜日からモスクワに出かけ、水曜日に帰ってきました。今回のロシア訪問の目的は、昨年の9月にマトヴェーエフ氏を日本に招待したときに出た話でした。「ロシアで体育学の論文を書いてみないか」ということでした。

今は、外国人に博士論文を書く機会を与えているということで、4年間で書くのだが、2~3年でもよいそうで、毎年1~2回指導教官にできたところを見せにきて、アドバイスを求めるだけでよいということでした。

私も最終的には、トレーニング理論の本をまとめたいと思っていたこともあり、しかも指導教官がマトヴェーエフ氏というこの上もない状況であることから、ぜひやってみたいと考えていました。

ちょうどタイミングがよかったというのか、大学を退職して専門学校の校長にもなったことから、それなりに自由が利く身になったので、なおさらチャレンジする気になりました。大学の教員にあるときは、論文を書くのも仕事のうちでしたが、職は違っても研究活動は継続したいと考えていたので、何とかやってみたいと思っていました。

今回の訪ロは、博士論文を書く上での、大学への手続きと許可を得ることと、論文の内容をマトヴェーエフ氏と打ち合わせするためでした。

最終的には、ロシア国立体育アカデミーで博士論文を書くことはできないということになったのですが、滞在中、マトヴェーエフ氏との話の中でいろんな情報を得ることができました。滞在日記の詳細については、またライフワークのところで紹介しますが、今回のニュースレターではポイントになるところだけを書き出してみました。

 

6月19日(土)雤、午後晴れ

マトヴェーエフ氏は、キエフでオリンピックに向けての会議があったのだが、私が来るということで、早めに切り上げ、今朝モスクワに戻られたばかりであった。ありがたいことである。ギリシアオリンピックと4年後の北京オリンピックに向けての課題を検討するものであったという。

マトヴェーエフ氏によると余り進歩のない会議であったという。ギリシアオリンピックでのロシア選手の活躍の見込みはどうかと伺ったところ、それなりかそれ以上のメダルが獲得できるかもしれないということであった。

それは、アメリカがテロを恐れて参加しない可能性があるという情報があるためという。アメリカの参加はテロ防止対策の状況次第であるようだが、テロ対策はかなり進んでいるようなのでアメリカの不参加はないだろうとおっしゃっていた。

また、5月に中国のオリンピック委員会の招待で北京にいかれていたそうである。2008年の北京オリンピックで中国はメダル総数119個の獲得をスローガンにしているようで、そのためにどうしたらよいのか、マトヴェーエフ氏にアドバイスを求めてきたということである。

なぜ119個なのかというと、ソウルオリンピックで中国が獲得したメダル数が59個であり、その倍以上を目標としたということである。中国では各競技で優秀な選手がいる大学を中心にトレーニングセンターを造っているそうである。

メダルのねらいは、陸上と水泳に置いており、その次にテコンドーを考えているようである。問題は、国内のドーピングコントロールに引っかかった選手や引っかからないようにすることのようである。ソウルのときには、50名もの選手が国内のドーピングコントロールに引っかかってオリンピックに参加できなかったそうである。

マトヴェーエフ氏によると、世界のトップに立つためには、1日3回のトレーニングは基本であり、レスリングでは1日5回やらなければ世界のトップレベルに立てないといわれていた。日本では、たいてい朝と午後の1日2回であるが、というと、それでは世界のトップには立てないとはっきり言われた。1日、3回、5回することは可能と思うが、問題はトレーニングと練習の内容であろう

そして、世界のトップに立つにはピークが1回のマクロサイクルがよいとのこと。陸上の日本選手権が6月に行われたというと、8月のオリンピックでは、95%の力は出せるが自己記録の更新は難しいだろう。

また、水泳の日本選手権は4月に行われたというと、8月にもう一度ピークを持ってくることは可能であるが、最初のピークの後にどれだけ疲労を残し
ているかということが問題になるといわれた。

ピークにもってきた試合の後のレースでは、ベストを尽くさないこと、自己記録の更新を狙わないこと、練習過程で参加すること、そうしないと免疫機能が必要以上に低下してしまい、8月にもう一度ピークに持っていくことが難しくなるといわれた。日本の指導者および選手は出場する試合にすべてベストを尽くし、自己記録を狙う傾向があるというと、それは日本の指導者だけではない。

それで失敗している指導者が多いといわれた。そういう意味で、北島康介選手の日本選手権以降のレース経過を見ていると、そのことに近い状況のようにも思うので、オリンピックは注目である

短い期間で再ピークが上手くいくかどうかのポイントは、すべて免疫機能の低下がどの程度で収まっているのかということになる。「練習の試合」という位置付けを十分理解しなければいけないということである。「イケイケドンドン」ではいけない。行くときは1回だけということである。

それから、現在のロシアの選手の状況について話を伺ったが、問題はソ連崩壊後、指導者が4万人も海外に出て行ったために、選手は管理してくれるものがいなくなり、自分で練習をしなければいけなくなったそうである。

海外に出て賞金を稼いでくるが、一部はコーチに渡す。コーチは、お金がないので帯同できないと言う。選手が十分な練習環境で練習するには、1ヶ月1000ドル必要だが、半分ぐらいしか収入のない選手がほとんどだそうである。

日本の実業団の選手では、月15万以下なんて考えられない。原因は、指導者がいない、指導者はコーチとして生活できない社会状況になっているということである。そのために、海外に出てしまう。トレーニングをしなければいけない時期であっても、トレーニングを差し置いて海外のレースに出て、生活費を稼がなければならない。

細かなデータを日々積み重ねていかなければいけないのに、それができない状況が今のロシアのスポーツ界だそうである。科学的基礎に基づいたトレーニングができないということである。

システムはあるのに、それを活用できる社会的・経済的な援助がないことが最大の問題であるという。
また、私も勘違いしていたのだが、マトヴェーエフ氏のおられるロシア国立体育アカデミーは選手を養成するところではなく、あくまで指導者を養成する教育機関であるという。

では、大学の年齢層の選手はどうなっているのかというと、中国とまったく同様で(考えてみれば当然であるが)、大学に属しているだけで、勉強もしない、勉強していれば1日3回トレーニングできないといわれた。仮に一般の学生の中に同様に扱うとなれば、授業にも出席しない選手に合格点を出すことになる。以前マトヴェーエフ氏がオリンピック選手に落第点を出したそうである。

それからは、大学に属するという扱いになったようである。

 

6月20日(日)晴れ

昨日同様マトヴェーエフ氏がエレベーター前まで迎えにきていただいた。席につくや早々、博士論文の話になった。レギーナさんが以前マトヴェーエフ氏が提案していただいた内容を確認する形で、テーマと内容について話された。

今回、各章の内容について具体的な話を聞きたいと思っていたのだが、意に反してマトヴェーエフ氏のほうから次々と各章に関する内容、課題について話をしていただいた。かなり細かなところまで話をしていただき、いかに弁証法がスポーツやトレーニングにおいて関係しているかがよくわかった。

スポーツの世界や競技スポーツの世界において科学的な裏づけのもとに競技能力が向上してきたわけであるが、そこにはいろんなものが複雑に関係している。単純に筋力トレーニングやスピードトレーニングといったトレーニングや練習内容だけで競技パフォーマンスを述べるわけにはいかないということがわかった。

われわれはどうしても目の前にある具体的な練習・トレーニング内容に目が行くが、そのようないろんな刺激が身体に与えられるわけで、その刺激に対して生体がどのように反応するのかという生体そのものの反応をもっと見なければいけないということがわかった。いわゆる免疫機能の問題である。トレーニングの負荷を高めていけば当然免疫機能も高まっていくわけだが、直線的に高まることはありえない

もし直線的にトレーニング負荷を高めていけば、当然オーバートレーニングになってしまう。オーバートレーニングになる前の段階としてオーバーリーチングがある。

これはまだ対処すればすぐに解決する、すなわち正常のレベルに免疫機能を取り戻すことができる段階であるが、それを無視して無理を重ねるとオーバートレーニングという慢性の免疫機能の低下状態(免疫不全)を招くことになり、取り返しのつかないことになる。

ここに弁証法の考え方がある。そのことがトレーニングの負荷は直線的ではなく、波状的に行うことがよいとされている理由である。

この免疫機能のことについてもっとよく知る必要がある。このことを研究した第一人者がセリエである。

セリエの本も何冊か読んだが、もう一度見直さなければいけないと思った。生体にはいろんな機能があり、ある刺激に対してその反応は異なるということである。ある組織はその刺激に耐えられるが、まったく耐えられない組織も出てくるということである。

スポーツトレーニングにおいては、「刺激」と「反応」の関係しかないということである。どんな刺激をどれだけの期間与えれば、どのような反応を示すのか、それが解明できれば簡単にパフォーマンスを高めることができるのである。

問題は、人間・選手一人一人同じ刺激を同じ期間与えても反応が異なるということである。そのために、毎日、毎週、毎月のデータを積み重ねながら、選手の反応を、その傾向を知らなければいけないのである。それが選手の管理であり、科学的データの裏づけとなるのである。1日3回練習をしなければいけないといっても、ただ3回やればよいということではない。

マトヴェーエフ氏の話によると、1日6時間のトレーニングをする場合、回復には10時間かかるという。こういうことも問題である。今日のハードなトレーニングが2日後、3日後、1週間後にどのような影響を及ぼすのかということも知らなければいけない。

それも選手一人一人について知らなければいけないのである。このような基礎データを数多く蓄積することで、その選手のトレーニング量と回復に必要な時間が決定されるということである。旧ソ連の科学的基礎というのは、こうしたデータのことを言うのである。

どんなトレーニングをすればよいのかという前に、その選手の免疫機能のレベルはどのようなものであり、どのようなトレーニング・練習に対してどのような免疫機能の反応を示すのか、それを知らなければいけないということである。

トレーニング理論に深く入るにつれ、具体的なトレーニング方法から離れていく。何をするかということではなく、何をしたら身体はどうなるのかということを理解しなければいけないということである。それを考えるために弁証法が出てきて、免疫機能が出てくる。

そうすると、オーバートレーニングについてもっと詳しく知る必要が出てくる。オーバーリーチングとオーバートレーニングの違い、このことは、昨年の秋に徳島で頼まれた講演を機に、結構調べていたので、ここで免疫機能の話が出てきたことは不思議な感じがする。

いずれにせよ、哲学的、科学的、実践的観点からスポーツトレーニングというものを見直さなければいけないということがわかった。そして、マトヴェーエフ氏から次のような哲学的示唆をいただいた。

「哲学は過去と未来の苦しみを見て笑う。しかし、現代の苦しみは哲学を見て笑う」

本当に、木を見て森を見ずでなく、森を見て木を見るわけだが、スポーツトレーニングの領域の森は簡単に見渡せないほど広大であるということがよくわかった。

一通り、論文の構成の流れについて具体的な話をしていただいたので非常にありがたかったというよりも、非常によい話が聞けたこと、自分がこれまで考えてきたことをどのように整理すればよいかということの示唆もいただけた。

ここまでで2時間経過していた。明日は、ロシア国立体育アカデミーで私が博士論文を書くことができるのかということについて関係者と打ち合わせをすることになっているが、現実にはなかなか難しいようである。いろんな絡みというか、担当者に難しい人が多いようである。日本でも同じことであるが、新しいことをやろうとするときに、必ず反対するものはいる。

今回の私の受け入れもアカデミーで初めてのことのようで、すべてマトヴェーエフ氏の発案であり、マトヴェーエフ氏も私のために何とかロシアで体育学の論文を書かせてやりたいというありがたいお考えがあるためである。

ここまできて、話がだめになっても、私自身は自分の研究課題としてやり遂げたいと思っている。いや、実にスポーツトレーニングというものの奥深さがわかってきたので、もっともっと追求してやろうという気になった。これも弁証法的効果といえるのだろう。

2004年日本陸上競技選手権|ニュースレターNO.096

先週の週末の4~6日、鳥取で行われた日本陸上競技選手権にUHPCの井内選手が参加しましたので、コーチとして出かけました。昨年は、400mHで決勝進出を果たしたのですが、今回は残念ながら9番目で決勝進出を逃しました。

彼にとっては、これが現役最終レースでしたので、何とか上位入賞をと願っていたのですが、力尽きたというところでしょうか。彼とは、10年来の付き合いになりますが、ここ2~3年間は、中学校教員としての仕事が多忙となり、満足のいく練習ができずじまいでした。

それでも何とか日本のトップ10には入ってきたのですが、頂上にたどり着くことができませんでした。1週間に一度走れるかどうかといった練習環境のなかで、ここまでがんばってきた彼の競技者としての姿勢には頭が下がります。

予選は、彼の組だけ向かい風が強く、その差が6/100秒差で決勝を逃したのですが、レースそのものは最高のものでした。最終コーナーを回ってから始めて追い込みができました。「たら」「れば」を言えばきりがないのですが、彼も満足できたレースであったと思います。これからは後輩達のよき指導者になってもらえれば嬉しく思います。

彼には、競技環境にまったく恵まれないなかで、しかも北海道という地域柄もありましたが、わたしが言う「少しずつ、少しずつの積み重ね」をやってくれました。指導者として、誇りに思います。反面、競技環境に恵まれた選手たちのふがいなさにはさびしい気持ちと、情けないという思いが強くあります。

日本選手権では、サブトラックに毎日おりました。日本選手権に参加する選手たちがどのような動きをするのか、またどんなウォーム・アップをするのか、興味深く観察しておりました。

そんな中で特に目に付いたのは、走りの悪さです。日本選手権に参加しているのですから、それなりのレベルにあると思うのですが、本当にひどい走りの選手が多く見られました。

しかし、末続はやはり別格の動きをしてました。何が違うのかというと、楽にスムーズに動いているということです。一生懸命走るのではなく、スムーズにスピードに乗ること、後は力みなく動きつづけるということです。

体型や脚の太さなど見ていると、脚の筋肉もさほど発達しているようには見えないのですが、スパイクをはいて120mを走ったとき、おそらく8割ぐらいだと思いますが、10mほどで加速するやいなやすごいスピード感がありました。まるで大砲から球が勢いよく飛び出す感じでした。

そして中間疾走を横から見ていたのですが、太ももの筋肉が非常に発達して太く見えました。脚の筋肉が走っているようでした。また、モモの引き上げ感が残像として残りました。よいものを見せてもらいました。また、スタート練習をしていましたが、スタートはまだまだ改良の余地がありそうです。したがって、これから先も大いに期待できそうです。

しかし、気になったことが1つあります。それは歩き方です。特に後ろから見ていて気になったのは、左足の膝が少しねじれて前に引き出されるように見えることです。

新聞には、「右脚が1回転半しているのに、左足が1回転しかしていない感じであった」と述べています。この点が左脚に違和感を感じやすい原因かもしれません。

5月の大阪グランプリで400mリレーを走っているときに、すごいスピードが出たとき左脚に違和感を感じたということですが、そのときのビデオを見ると、右脚はきれいに回転しているのですが、左脚は、キックをするタイミングがあり、左膝を少し伸ばしてキックしていることがわかりました。

それが左脚のひきつけの遅れとなり、左右のリズムが崩れたものと思われます。この辺りの原因も日ごろの何気ないときの歩き方にあると思われます。コーチもこの当たりのコトをよく見てあげてほしいものです。

それで、ひどい走りの選手について、何がひどいかというと、とにかくがんばって速く走ろう・速く動かそうとする意識が強く、それが力んだ動きとなっていることです。速く走るために、腕を意識している選手、キックを意識している選手がやたらと目に付きました。

したがって、滑らかさもなく、流れるように進んでいないのです。特に、女子の短距離選手は、ひどいものでした。同等に男女の長距離もそうですが、走りを見ていると、こちらのほうも力が入ってきます。また、イメージが悪くなるので目を反らしたくもなる選手が多くいました。

能力を持った選手たちに違いないのですが、この走りではどうにもならないのではと本当にさびしい気持ちになりました。どうしてそこまで力を入れて走らなければならないのか、どうしてそんな動きをしなければいけないのか、自分で本当に進んでいると感じているのだろうか、そんな思いしかしませんでした。

やはり指導者の責任です。ある有名なコーチですが、400mHに出る選手のハードリングを見て、私の後ろで独り言を言っておりました。選手がハードルを越えるごとに、「浮いている」「何で浮いているんだよ」「また浮いている」、走り終えた選手にそのコーチは、「なぜ浮いているんだよ」といっておりました。どうしようもありません。

普通なら、ハードルを飛ぶ前に「これは浮くぞ」とわかるはずだし、なぜ浮いたのかもわかるはずで、選手には「今の1台目はこうなったから浮いたんだぞ」とミスのポイントを指摘し、改善点をアドバイスしてあげるのですが、一流コーチといわれる指導者の独り言にしては情けないというか本質を見た気がします。

おそらくこんな現状ですから、日頃の歩き方の指導は当然のことですが、とにかく走りこんだらという発想にしかならないのかもしれませんね。ワンポイント言ってあげたい選手がたくさんいました。そうすればもっと楽に走れるのに、残念の一言しかありません。

末続とともに目に付いた選手がいました。それは男子200mで優勝した20歳の高平選手でした。高校チャンピオンで、順大に進みここまで順調に、というより今回大飛躍したといえます。彼の走りは柔らかいのですが、これまでのレースは後半力みがいつも見られました。

しかし今回のレースは、初めて最後までリラックスした走りが見られ、それがそのまま20秒59というオリンピック参加A標準記録突破につながり、オリンピック参加を決定付けました。短距離のすべてのレースにおいてリラックスできていたかどうかの差が記録や順位の差になっていたように思います。

レースでリラックスして走れるようになるためには、日頃からリラックスした楽な走りをしなければいけません。がんばらないということなのですが、言葉だけではなかなか理解できないようです。

最後にがっかりなのは、男女の長距離陣です。ケニア選手との走りを比較しながら見れたので実によくわかります。日本選手は走っているのですが進んでいない、ケニア選手はどんどん進んでいます。その違いは何なのか。それはスピードを上げよう、速く走ろう、前に進もうとして走っていることです。

自分の意識で手足をしっかり動かしているのです。そのことが余計な動作を生み出し、前に進むことを制御してしまっている感があります。原点は、自然に進んでしまうということなのですが、それを文章で示すことは難しいのですが、実際には簡単に理解することができますし、実感することもできます。

これまでクリニックでやってきていることなので、参加した人たちは全員実感しています。ポイントは、重心の移動ということだけなのですが。きちっと走りを指導しないといつまで経っても世界に追いつくことはできません。今回のレース(男子10000mや女子の5000mなど)のビデオをよく見てもらえば走りのポイントが判ると思います。

特に、女子5000mで、福士とワゴイがラストの400mの争いになりましたが、ゴールでは5秒も差がつきました。それはランニングスタイルの違いにあります。その違いがわかるかどうかが本当の指導者であるかどうかの違いになると思います。