2005年 5月 の投稿一覧

やはり筋力か|ニュースレターNO.119

前回のニュースレターで紹介した『スポーツ選手なら知っておきたい「からだ」のこと』では、「スポーツは、筋力・筋肉が全てではない!」ということをテーマに掲げていました。最近の傾向は「ナンバ」にしろ、「二軸」にしろ、「コオーディネーション」にしろ、身体の使い方が筋力より重要であるという風潮が拡がり、筋力トレーニングの是非を問うきっかけになっています。

私自身は、筋力は必要なものであることは当然だと思っていますが、その前に身体の使い方、力の出し方を習得させなければトレーニングにおいてもパフォーマンスの結果においても発展性がないように思います。先週に発刊されたトレーニングジャーナルのコオーディネーションの特集記事は、非常に興味深いものでした。そのなかでも、筋力は絶対ではなく身体のコントロール能力のほうが大切であると語られています。

しかし、ここでこのような考え方ができるでしょう。同じ身体コントロール能力であれば、筋力レベルの高いものの方がパフォーマンスは高くなる。

また、同じ筋力レベルであれば身体のコントロール能力の高いものの方がパフォーマンスが高くなる。というように、二面性があるのです。そのために、どちらが優位であるという考え方は一概に言えないことになります。

その対象者としてのアスリートをしっかり分析することから始まり、現時点でどちらを優先しなければならないのかという現状分析をたえず行いながら、トレーニング計画の修正をしなければならないということではないでしょうか。スポーツトレーニングの分野において、絶対これだけでよいというものはないということを認識する必要があります。

今回のニュースレターでは、久々に筋力絶対という考えを前面にして書かれた著書(谷本道哉「使える筋肉 使えない筋肉」山海堂2005)を紹介します。全ては筋力であるということをテーマに掲げたものです。どんな考え方も読めば納得する内容ですが、そこをどのように理解して受け止めるか、指導者としての柔軟な思考が望まれます。

それから、トレーニングジャーナルの6月号から「マトヴェーエフ博士は語る」の連載を始めました。2年ほど続ける予定です。これまでマトヴェーエフ氏とのインタビューをテーマごとにまとめて紹介するものです。

では、前述の著書の中から参考になるところをピックアップして紹介します。

『動作を行うにはまず力が必要であり、その力を発揮するのは筋肉であるわけですから、スポーツ動作にはなによりもまずは筋力が必要だということになります。そしてその筋力は主に筋肉の太さに比例します。

しかし、こういう話をすると、「いやスポーツ」で大事なのは力じゃなくてスピードなんだ。だから筋肉や筋力がついてもスピードがつかないからダメなんだ」と反論する人がいます。スピードは大事で力はいらないというわけですが、この論法は物理的に無理があります。動作・スピードを生み出すものは力以外にはありえないからです。

力と加速度の関係はF=Maという式の関係にあります。Fは力、Mは力を受けるものの重さ(走る動作なら体重、バッティングなら腕とバットの重さ)aは加速度です。この式から力の強さと加速度が比例することがわかります。速度は加速度の時間合計なので加速度が大きければ速度も大きくなります。

つまり力が強いほどスピードも出ることになるのです。また、筋肉の生理学的特長として、筋力が強いほど、同一負荷に対して出せる速度が上がります(このことは後ほど詳しく触れます)。力はいらなくてスピードが欲しいという論法は、軽自動車のエンジンで時速200㎞/hの走りを要求しているのと同じです。

速いスピードを実現するには強い力が必要なのです。「スポーツの場合にはそんな式は当てはまらないだろう」と思われるかもしれませんが、そんなことはありえません。

しかし、「スポーツの場合にはそんな式は当てはまらない」ように感じさせる理由はあります。大きく発達した「使えない筋肉」の存在がそれです。筋肉が発達した人に動きの遅い人が多くいるからです。

また、力んでいる、力が入っているといわれる状態では動作のスピードがあまり出ません。力が入っていてスピードが出ないのですから力はスピードにとって不要であるように見えます。

この問題は筋肉や力にあるのではなく、動作が下手で力をうまく発揮できていないことにあるのです。筋肉の能力を生かせていないために「筋肉や筋力がついてもスピードがつかないからダメなんだ」といわれてしまうのです。この台詞は「使えない筋肉」の場合にのみ当てはまります。

強い筋肉が動作の中で上手に力発揮できれば、非常に大きなスピードを出せます。逆に強い筋肉がなければどんなに上手に力発揮できてもあまり大きなスピードは出せません。100m走のトップ選手達のすばらしく発達した筋肉を見れば納得がいくでしょう。』

『・・・筋肉はサルコメアという収縮装置の集まりでできています。そのサルコメアが収縮することでその集合体である筋肉が収縮します。ですから1つのサルコメアの力-速度関係も図と同じ形になるわけです。

図に示すように筋肉の太さはサルコメアの並列要素です。収縮装置が横に並ぶわけですから、収縮する力の強さは太さに比例することになります。図に示すように横に人が並んでバーベルを持ち上げれば、持ち上げる人数(並列要素)に力は比例します。

同じく、筋肉の長さはサルコメアの直列要素になります。収縮装置が縦に並ぶわけですから、収縮する速度は長さに比例します。長いほどたくさん縮むからです。図に示すように縦に人が並んでバーベルを持ち上げれば、並んだ人数(直列要素)に速度は比例します(ここでは並んだ人の体重は考えません)。

つまり筋肉は太いほど力が強く、図のグラフが横軸方向に広がり等尺性最大筋力(Po)が大きくなります。長いほど収縮速度が速くグラフが縦軸方向に広がり無負荷最大短縮速度(Vmax)が大きくなるわけです。そして、力と速度の積であるパワーは太さと長さの積である大きさ、体積に比例します。筋肉自身の能力は筋肉の体積によって決まることになります。』

『スポーツパフォーマンスを上げるためには筋肉の力と速度を上げたいわけです。それぞれが向上すればその積であるパワーも増大します。そのためにはどうすればよいかというと、筋肉を太く、長くすればいいということになります。

筋肉は実際にトレーニングで太くすることができます。そのための専門的トレーニングがウエイトトレーニングです。きちんとしたトレーニングを行えば、筋肉を2倍以上の太さにすることも可能です。それに対して筋肉は、トレーニングで長くすることができません。

筋肉の長さは骨の長さで規定されますから筋肉が長くなっても行き場がありません。ストレッチングなどで筋肉の直列要素であるサルコメアが縦方向に増えて筋肉が若干長くなるという研究報告もありますが、その変化はわずかなものでしかありません。

つまり筋肉自身の能力を上げるには筋肉を太くしてPoを上げるしかないのです。筋肉は長くできないのでVmaxは上げられないからです。』

『筋肉は長くできないからVmaxを上げられないというと、筋肉は速くできないのではないかと思われるかも知れませんが、早合点してはいけません。筋肉が太くなってPoを上げることができれば実動作での収縮速度を上げることができます。運動をするときは必ず何かしらの負荷がかかるからです。Vmaxのように負荷がOになるような状態は実際の運動においては起こり得ません。

Poが上がれば同じ負荷に対する発揮速度が上がります。同じ負荷のものでも力が強くなった分だけ相対的な負荷が下がるからです。たとえばベンチプレスのMAXが50㎏のときは40㎏のバーベルをゆっくりとしか挙げられませんが、MAXを80㎏に伸ばすことができれば40㎏のバーベルを速く挙げることができるようになることからもわかるでしょう。

また、速度というのは加速度の時間合計で生まれます。スポーツ動作で大きな速度を出すには、加速度を与える必要があります。そして加速度はF=ma(力=質量×加速度)の式にしたがう通り、力の強さに比例します。力が強いほど大きく加速できるので、得られる速度も大きくなります。

力を強くできれば負荷に対して発揮できる速度が上がること、また速度を生み出す加速度を大きくできることから、筋肉を長くしてVmaxを上げなくても実動作における速度を上げることができます。筋肉を太くすることで力が強くなれば、速度も上げることができるのです。』

『筋肉の長さ、太さといった形態以外に筋肉の力、速度そしてパワーを変える要素に筋線維組成があります。

速筋線維は遅筋線維よりVmaxが2倍ほど大きくPoも若干強い(ただし持久力は劣る)ので、速筋線維を増やせれば力、速度そしてパワーを上げることができます。しかし、筋線維組成は生まれつきほぼ決まっていて、運動などの環境的要因での変化は極めて少ないことがわかっています。』

『・・・・ゆっくりと動作するウエイトトレーニングの効果で心理的限界を引き上げることができれば、どんな速度の運動でも発揮できる力がアップするかというと、そうはならないからです。トレーニングによる神経系の改善によって力を引き出せるようになるのは、実は行ったトレーニングの速度近辺に限定されます。

ウエイトトレーニングのようなゆっくりとした動作でのトレーニングを行っても、遅い速度域での力発揮能力は上げられますが、速い速度域での力発揮能力を上げることはできません。これは筋収縮の速度によって、筋肉の力発揮に必要な神経要因が異なるためだと考えられます。これをトレーニングの速度特異性といいます。』

『筋肉の収縮速度が遅い動作での目いっぱいの力発揮は、筋肉が大きな力を発揮できるので神経系の抑制がかかります。自分の体を傷めないようにするリミッター機構が働くからです。大きな力を出す技術とは、いかにしてこの神経系の抑制を解除し、より多くの運動単位・筋線維をその運動に参加させられるかということになります。これは心理的限界を上げることで達成できます。

一方、収縮速度の速い動作では目いっぱいの力発揮をしても筋肉はあまり大きな力は出せないので、心理的限界のレベルはここではあまり関係しません。

速い速度の動作は運動時間が非常に短いので、神経指令による運動単位の動員を瞬時に同期させる能力が必要になります。それぞれの運動単位が別々の時間にばらばらに力を出していては瞬間的に大きな力を発揮することができません。瞬時に、かつ同時に運動単位が参加することが必要です。

また、それぞれの運動単位の力の立ち上がりを速めるために、神経刺激の発火頻度を高める必要もあります。』

『力と速度の積であるパワーを高めるにはどうすればいいかというと、単純に力と速度を上げればよいわけです。筋肉自体の能力としては先ほど説明したとおり筋肉を太くしてPoを強くする以外にはありません。力-速度関係のグラフを力軸の方向に引き伸ばせばあらゆる負荷条件においてのパワーが上がります。

これはよくある誤解なのですが、最大のパワーが出るところがPoの30%付近であるから、パワーを高めるにはその30%の負荷でトレーニングをするべきだという人がいます。また、そのような負荷で行うトレーニングに「パワートレーニング」などという名前までついているようですが、これはおかしな話です。

トレーニングには先ほど触れたように速度特異性があるので最大パワー付近での力発揮が多少強くなることで、実際最大パワーも多少は上がるでしょうが、これは根本的なパワーアップにはなりません。

最大パワーが出るPoの30%くらいの負荷での力発揮が多少うまくなっただけのことで、上限は知れています。また、スポーツ動作では受ける負荷を自分で決めることはできませんから、Poの30%の負荷近辺だけでの力発揮が神経制御としてうまくなっても、あまり大きな意味を持ちません。パワー=力×速度であるという基本の性質をよく覚えておいてください。』

意識することの功罪|ニュースレターNO.118

前回のニュースレターでムカデの話をしました。自分の動作を一つずつ思い出して確認していくうちに、わけがわからなくなり、バラバラな動きになってしまったという話です。意識することの功罪が見て取れました。実際のスポーツの動きにおいては、意識するタイミングや余裕などはありません。意識できるとしたら、きっと動きはギクシャクしたものになっているでしょう。

また、不自然なリズムになったり、引っかかりを感じるぎこちない動きになっているでしょう。

動き・動作を習得する場合に大切なことは、「こうしなければならない」「このように動かさなければならない」というように「どこをどうしなければならない」といった意識をもたないことです。特に、「手や脚をどこでどうするとどうなる」といったことを頭の中で考えていると、また考えさせると、まずもってスムーズな動きはできません。

では動きや動作を習得するためにはどうすればよいのでしょうか。動作や動きは覚えることではなく、からだが自然に動くようにもっていってやるということです。ベルンシュタインも書いていたように、感覚が非常に大切であるということです。よくいうリラックスするということです。

リラックスした、よけいな緊張のない状態は、関節も弛んだ状態であることから、自然に素早く動かすことができます。手や脚をどうしろというより、リラックスして楽にやらせることです。「がんばらない、がんばろうとさせない」ことです。

そういう意味においても、動きを細かく分析しすぎることは問題です。学問的分析には必要かもしれません。しかし、その分析結果に基づいて動かそうとすれば、そこに必ず意識が働いて、リラックスすることはできません。

分析し、個々の動作を理解したつもりで動いてみると、その感覚の悪さに気が付くはずです。正にムカデと同じ状態です。楽にやることが身体の自然な動きを引き出し、スムーズな動きとなり、余分なエネルギーを使うことなくパフォーマンスを高めることができるのです。

言い換えれば、力を抜くことです。しかし、この意味を取り違えるとだらだらした力の入らない動きになってしまいます。余分な力(リキミ)を余分なところ・タイミングで入れないということです。余分な力を抜いて動いていると自然にその動きにリズムが出てきます。そうすると、動きがスムーズになり、見ていても美しい動きになり、本人もあまり疲労を感じなくなります。

人間の自然な動きというものをもう一度見直しましょう。自然に動くことが、いろんなところでいろんな理論として語られる動作になるのです。

したがって、「・・理論」というこだわりをもつことより「自然な動き」というところに立ち返ることが最もパフォーマンスの向上につながるのではないかと思います。リラックスできていれば人間に備わった自然な動きが出てきます。そのような動きが大切であり、意識してつくるようなものではありません。意識した動作は、作られたものであり、すぐにできない動作になってしまいます。

しかし、自然な動きというものはすぐに習得することができるものです。それは、難しいものではなく、自然な動作であるからです。

そんなことを考えてみて、最近出た本を読んでみると面白いと思います。今回紹介するのは、『スポーツ選手なら知っておきたい「からだ」のこと』(小田伸吾、大修館2005)という本です。

二軸理論なるものを提唱している著者が書いたものです。指導者として選手に動きの中で意識を持たせることがどういう意味合いがあるのか、「意識」ではなく「ポイント」なのか、「イメージ」なのか、「感覚・フィーリング」なのか、まさに巧みさにつながる技術の習得や動きの習得にかかわるいろんな示唆が得られると思います。

『オリンピックで通算10個のメダルを獲得したスプリンター、カール・ルイス選手を育てたトム・テレツコーチが日本でスプリント講習会を開いたとき、日本人コーチから、「接地期に踵をつけたほうがよいのか、踵は地面につけないで走ったほうがよいのか」という質問が出たそうです。その質問に対して、テレツコーチは次のように答えています。

「踵をつけるかつけないかを意識してはいけません。足首が曲がって伸びるのは自然な反応であり、ここに意識はおかないほうがいいのです。足首を伸ばすことに意識をおくと遅くなります。鋭く足首を伸ばそうと意識することがかえってランニング速度を遅くします。自然の動きを、意識でつぶさないことです」。

カール・ルイス選手は足首の曲げ伸ばしの角度範囲が約20度しかないということを前章で述べましたが、テレツコーチは、この足首の曲げ伸ばしは自然の動きであるととらえています。鋭く足首を伸ばそうと意識することがかえってランニング速度を遅くするのです。

自然の動きとは何でしょう。自然とは何でしょう。筋肉は、引き伸ばされると、もとの長さに戻ろうとして筋活動を引き起こします。これは、脳からの指令による筋活動ではなく、意識の外で生じるものです。筋が伸張して起こす反射活動なので、伸張反射と呼ばれています。』

『伸張反射で筋肉は自動的に収縮するということを考えていると、「自然の動きを意識でつぶさないこと」というテレツコーチの言葉の意味が見えてきます。意識を最大にして力んでいるときの筋活動のレベルより、ジョギング中の筋活動レベルのほうが高いということが神経生理学の研究によってわかっています。

もし、ランニングのときに足首を伸ばすことを意識的に行うとすれば、それは、意識の外で生じるありがたい伸張反射による筋活動を台なしにしてしまうことになります。・・・

からだの中では、脳(意識)が気づかないことが起きています。身体運動はすべて意識であやつることができると思うのは誤解です。脳とからだ、意識と無意識。スポーツマンは、毎回このテーマと正面から向き合うことになります。実は、私たちは自分で自分の筋肉のじゃまをしていることが多いのです。』

『自転車の空踏みで示したように、100mの途中でピーク速度に達したとき、もしできるものなら、宙に浮いて空を飛びたいというのが、常歩で走る世界のトップ選手の心境ではないでしょうか。

人間は、飛行機のように飛ぶことができないので、なるべく接地時間を短くして、いったん高めたスピードを減速しないようにからだを前方に進めます。ここで、地面を蹴ろうとか、地面を強く押そうとか、よけいなことをして、意識的な力みをからだにもたらすことは、やってはいけません。』

『男子ハンマー投げの室伏広治選手が、80mの「壁」の手前でどうしても抜けられないスランプに陥りました。苦悩の末に、自分の動作のビデオ観察をやめたというのです。

・・・

それは、ビデオに映った白分のフォームを繰り返し見ているうちに、いつのまにか目で見た形にとらわれて、練習で獲得した彼独自の運動感覚を崩していることに気がついたからです。私たちは、自分の動作に、何らかの欠点や改善点を見出すと、その部分に直接的に意識をおいて動作を修正しようとします。室伏選手は、このことがマイナスになる場合があることに気がついたといえます。

たとえば、ビデオを見て、リリース時の手の位置が低いという欠点に気がついたとします。リリースのときに手をあげようという意識をもっと、こんどは手の位置が高くなりすぎたり、手の位置はあがっても、他の部分に新たな間題が出てきたりすることがあります。

室伏選手が、これまで感覚の重要性を知らなかったはずはありません。しかし、動作を繰り返し目で見て確認することが、知らず知らずのうちに感覚を狂わせていた、ということに気がついたのだと思います。』

『・・・常歩歩行の動作感覚的イメージは、右足を踏み出すとき、右腰が前に出て左腰が下がるような動きではなく、右腰が前に出ながらも、着地脚側の左腰も前に出るような動きであるといえます。

実際、「体幹をねじる通常歩行ができない」と語った被験者は、右足が遊脚として前に出るときに、前に出ていく腰は右ではなく、支持足側の左でした。つまり、右足を前に出すときに、腰の回転方向を上から見ると、なんと時計回りだったのです。

今回、常歩歩行として測定した腰の動きが、末績選手のなんば走りのなかでも同様に活かされているものと思われます。着地期において、地面についている脚が後方にスイングしていくときに、腰には前向きの力がかかっていることがキーポイントです。実は、着地期において、地面についている脚が後方にスイングしていくときに、腰に前向きの力がかかっているのは、世界のトップスプリンターに共通して見られる動きです。

世界のトップスプリンターに見られる動作のキーポイントは、右足が遊脚となって前に出るときに、支持脚側の左腰が前に出る(あるいは左腰に対して前向きの力がかかる)動きにあるといえます。

これは、相撲の押し動作などに見られる押す動作です。右足が空中で前に出るときには、右腰が前に出て左腰が後ろに下がるような動きではないのです。これは、支持足側の腰が引けた引く動作です。』

『支持脚側の腰が前に出る、と聞いてみなさんはどのような動作をするでしょうか。支持脚側の腰に意識をおいて、ぐいっと力を入れて腰を前に出そうとする人が多いと思います。本書で、みなさんにおすすめする動作は、力を入れる動作ではなく、膝を抜く動作です。支持足側の腰が前に出る動きは、感覚的にいうと、実は力みから発生するものではなく、力を抜く動きから生じます。

歩く動作で考えましょう。前に出した足が踵から着地した瞬間、膝を突っ張ってしまうとどうなるでしょうか。このような歩き方では、ブレーキがかかって進めません。この状況でからだを前に進めるには、後ろ足で蹴り出さないといけません。蹴り出しという動作がこれです。この蹴る動きは、同じ側の腰を後ろに引いてしまい(引く動作)、腰を回転させ、体幹をねじる動きをもたらします。

前に出した足が踵から着地した瞬間、膝を一瞬小さく曲げます。膝の力を抜く感覚です。そうすると、からだが重力で落下するようにして、からだは前足に乗り込むようにして、スーッと進みます。

膝を抜いて地球の重力に引っ張ってもらって進むので、後ろ足の筋力を使って蹴らなくても進みます。この膝の抜きを数歩繰り返していったら(膝を曲げ続けていったら)、完全にしゃがんでしまって歩けなくなる、と錯覚する人も多いと思いますが、安心してください。

膝を抜いた直後には脚筋群は引き伸ばされながら筋力を発揮して、それ以上膝が折れ曲がらないように膝をささえてくれます。外から見て、「かくん、かくん」と膝が折れ曲がるような動きではありません。膝の抜きは、ほとんど目で見てもわからない、感覚的な動きです。

通常歩行では、着地脚の膝を伸ばしながら地面を蹴りますので、膝の位置は後ろに送られます。ところが常歩では、着地脚の膝は伸びていくのではなく、逆に、曲がりながら前に出ていく感覚の動きなのです。この膝の動きを「膝の抜き」といいます。データが示した、支持脚側の腰が前に出る動きは、このような膝の抜きによって生まれるものです。』

『モーリス・グリーン選手が全盛の頃の中間疾走のビデオを見ると、常歩に特有の動きが見てとれます。正面からの映像を見ると、着地して体重がかかったとき、着地足側の腰が高くなり、遊脚側の腰が低くなっています。これは後で述べますが、股関節の抜き動作です。

ためしに、階段に片足で立って、反対足を立ち足より低く落としてみましょう。軸(中心軸)を立ち足側の軸に寄せる動作です。このとき、中心軸は垂直のままにして、けっして立ち足側に傾けないように注意します。

膝の抜きもみごとです。両膝の位置(高さ)に目を向けると、遊脚の膝が着地足と交差するとき、遊脚の膝のほうが低くなっています。これも、膝の抜き、股関節の抜きから生まれたものです。着地足側の肩に注目すると、肩はストンと低く落ちます。着地足側に軸ができた状態です。

ここから、着地足側の軸が消えて(off)、反対側の軸ができてきます(on)。この軸の切り換えは、両肩のラインの傾斜で引き起こされます。つまり、着地足側の肩が跳ねあがり、次に軸ができる側の肩が相対的に低くなり、両肩を結んだラインに傾斜ができ、腰のラインの傾斜とあいまって、高いほうから低いほうに向かって、次の軸が形成されます。

肩のあがりは、胸鎖関節、肩甲帯がゆるんだ状態でぽんと跳ねあがるようにあがるのであって、僧帽筋の緊張、力みで起きるのではありません。したがって、腕振りは、肩を支点にして、前後に振るイメージではなく、肩甲帯が上下に動くのです。

肩を支点にして、力んで前後に振る腕振りは、中心軸走法の典型的な特徴です。つまり、腕振りは、上下の動きです(肩甲帯の上下運動を伴い、肩関節の位置自体が上下に動きます)。肩が跳ねあげられるとき、肘の力は抜けていて、肘関節が屈曲し、手の位置も上に自然に跳ねあがってきます。

中心軸で走っていた人が、常歩をマスターするには、時間がかかります。からだでわかるまでには、ある程度期間が必要です。まずは、楽に走れるようになるので、中長距離走で効果がみられます。しかし、短距離走は常歩では速く走れない、という人が多いようです。

支持脚側の軸が前にいくということを何度も強調しましたが、そのことにこだわりすぎると、スプリント(全力疾走)がうまくいきません。支持足側にできた軸が前に進むと同時に、反対側に軸が切り換わらなくてはいけません。したがって、支持足に体重が乗ったら、すぐに、軸を反対側に切り換える必要があります。

常歩で重要なのは、軸の前後の動きと、左右の切り換えの両方を整えることです。末績慎吾選手や東海大学の選手が、メディシンボールをからだの前で持って、それを左右に移動させながら、二軸走法を練習している光景をテレビで見たことがあります。

それを見ると、体重が一瞬かかる側の上腕は外旋していました(反対の上腕は内旋しています)。軸を右から左に切り換えるときに、右上腕を外旋位から内旋させていき、左上腕を内旋位から外旋させるようにするとうまくいきます。メディシンボールが着地脚側から斜め前方に移動し、8の字を描くように、切り換えられます。左右軸の切り換えは、左右の腕の外旋と内旋の動きにも影響を受けるものと思われます。』