2009年 2月 の投稿一覧

走りについて考える|ニュースレターNO.210

今月は、3週間続けて週末を徳島、旭川、札幌、東京で講習と相談会で過ごしました。また今週末には、コンディショニング講座があります。そんなわけであっという間に2月が終わろうとしています。それで、3月末のリ-コンディショニング講座ですが、私的な都合により中止したいと思います。

次回は秋の開催になると思います。また、数名集まられれば、出かけて行って講座をすることもできますので、遠慮なくご相談ください。現に、東京では少人数での勉強会型の講座をやっております。

それから手元には、4月以降に出版する予定の著書(仮題:読んで役立つ・解決するスポーツトレーナー虎の巻)の校正がとどいており、時間のあるときや移動のときに原稿を読み返す毎日です。これまでの私のまとめになる著書なので、手を抜かずきっちり仕上げたいと思っています。校正していると、なんといいかげんに書いていたか恥ずかしくなりました。皆さんに読んでもらえるように努力したいと思います。

さて、前回のケニアの長距離選手の話しに興味をもたれた方が結構多かったようです。今回は、運動科学研究所のホームページで紹介され記事を紹介したいと思います。残念ながら、現在ではもう掲載されていません。

運動科学研究所というのは、高岡英夫氏のホームページで、身体操作について研究されているところです。高岡氏の考えについてはこれまでにも何度か紹介しましたが、今回は走りについてどう考えればよいか、一つの示唆があります。スプリントを指導する上で参考になると思いますので、紹介したいと思います。

『歩行運動はあらゆる運動の基本を含んでおり、投げる、剣で斬る、空手や拳法で突く、泳ぐ、あるいは茶碗を持ち箸を使うなどに至るあらゆる動作は実は歩きの応用であること、武術家でもスポーツ選手でも舞踊家でも優れた身体運動家は皆、歩きの中で優れた運動成分を培い、それを専門動作の中でうまく応用していること、だから歩法のトレーニングは実に重要だということを話しました。

ですから、歩きが運動の基本をいうことについては納得していただけていると思います。でも、走運動が運動の基本であるのは、それがスタミナや下半身の強化の必須手段だからと考えている方が多いように思えます。ですから、今回はまず、身体、身体意識、そしてすべての身体運動の改善において、走法のトレーニングがどのような意味を持つかについてお話しする必要があるでしょう。

具体的な説明は後でしますが、結論から言うと、走りは運動の基本である歩きをより難しくしたもの、歩きにより負荷をかけたものです。人間はより難しい技や動きをさせられると、自分の身体、身体意識、身体運動における欠点をより増幅させてしまいます。

たとえば、脱力という観点からみた場合、10kgの鞄を一つ持って歩くのと、同じ鞄を10個持って歩く、あるいは足場のしっかりした地面で動くのと、ぬかるみで動くのでは、どちらが無駄な力が入りやすいですか。いすれも後者ですね。 しかし、とらえ方によっては、より難しい条件下の方が自分の欠点と向き合いやすいとも言える。

そして、その克服に努めれば、身体、身体意識、そしてすべての身体運動の改善に拍車がかかる。ここに走ることを専門としない人々が、走法のトレーニングに取り組む意味があるのです。』

『走運動が歩行運動をより難しくしたものであるということを、両者の共通点と相違点をあげながら説明しましょう。 まず、共通点をみてみましょう。代表的な運動には、歩く、走る、投げる、跳ぶ、転がる、泳ぐなどがありますが、それらの中で歩きと走りは、最も近いものでしょう。

みなさんも自分の体験の中で、走ろうとする時、必ずその前に歩いている、あるいは歩きの流れの中に走りが生まれてきやすい、歩きの延長に走りがあるという実感があるでしょう。

科学的にみても、走運動と歩行運動は極めて似ています。どちらも同じ運動を繰り返す連続動作で、身体の右側と左側が対称的に交互に運動する。しかも、通常の歩きや走りは、左足が進むときには右手が進み、右足が進むときには左手が進むというというように身体の右側と左側が交差する運動です。

一方、相違点は、走運動には空中期、つまり両足とも地面に接触していない瞬間があるのに対し、歩行運動にはそれがないということです。空中期があるのが走りで、ないのが歩きです(図A)。これは学術的な定義でもあるのですが、このことも、みなさん、実感としておわかりでしょう。

では、この相違点を身体意識学から説明しましょう。これも第2章でもお話しましたが、歩行運動は一見、水平運動のようですが、その運動構造を分析すると、正しい歩きにはきちっとした垂直運動が含まれています。

そして、その垂直運動の実体は「軸タンブリング」そのもの、つまり足を地面につけたまま身体を上下動させる動きです。簡単な言い方をすると、歩行運動には軸タンブリングが含まれているのです。軸タンブリングの成分を潜在的に含みながら手足を交互に、しかも交差平行的に振る水平成分が加わったのが歩行運動です。

そのような視点で走運動を見ると、その運動構造の大枠は歩行運動と同じなのですが、走運動の垂直運動の実体は、足が地面から離れる瞬間のある上下動、つまり「軸ジャンピング」です。』

『その通りです。空中期がある。つまり、身体意識学で言ったら軸ジャンピングをすることから必然的に生まれてくる様々な条件のコントロールが走運動を難しくしているのです。人が地面を蹴って空中に飛び上がり再び着地するという現象を物理学的に見ると、足で地面を押し、足が接地している時に働く重力を上回る抗力が生まれると、人は空中に放り出されます。

そして、空中では地面からの抗力をもらえませんから、空中期に身体に働く垂直成分は重力だけとなり、人を空中に放り出した力は重力でどんどん減らされ、それがゼロになった時に人は再び地面に接地するのです。 走運動は歩行運動よりスピードが速いから、その分接地期に接地足の上で重心が高速で移動します。

さらに走運動は一定の流れ、リズムの中で繰り返し行われる連続運動です。ですから、その流れを崩さぬように走るには、抗力を生むタイミングと抗力の大きさの絶妙なコントロールが必要になる。そしてスピードが速くなるほど接地期が短くなる一方、より強い抗力を生まなければならないから、さらにそのコントロールが難しくなるのです。

また空中に放り出された身体はバランスを取りづらい。だから、走運動では歩行運動に比べて抗力を出す方向もより厳密にコントロールしなければいけない。具体的には、自分が地面を押す方向と自分の進行方向が作り出す面に重力の方向が含まれるようにしなければいけないのです。

このように走動作はエネルギー的にもコントロール的にも、歩行運動に比べるとドラスティックに難しくなるのです。だから走運動を正しく行なうには意識的な努力が必要です。というわけで、走法のトレーニングは自分自身の身体、身体運動、身体意識を改善するための非常に良い舞台になる。

走運動を改善すれば歩行運動も良くなる。歩行運動が良くなれば、自分自身の本質的な意味での身体運動、身体意識を改善でき、専門種目の動きも上達していくのです。』

『走運動で増幅される欠点はすべて歩行運動でも見られるのですが、一番の問題は脱力ができないことです。脱力とは力を全て抜くことではなく、身体運動の各局面において必要な筋肉に必要な筋力を発揮させ、それ以外は脱力させることです。しかし、普通の人は歩く時よりもっと無駄な筋肉と筋力をそこらじゅうで使って走っている。特に問題なのが、大腿四頭筋と中臀筋を必要以上に使ってしまうことです。

だから、普通の人はももの前も腰回りもガシガシさせ、ドスドス、ドタドタ走る。これが普通の人が持つ悪しき運動構造の増幅された姿です。自分の走りにそのような感じがあったら、やはり歩きでも専門種目でもそういう動きをしているはずです。人間は全く同じ身体と同じ基本的運動構造で様々な動きをこなしているのですから、何かをやるときは別、ということはあり得ません。

センターはきわめて形成されにくいし、本連載の第5章でご紹介した水平方向の重要な身体意識であるレーザー(図B)も形成されにくい。より根本的に言えば、X軸Y軸Z軸で表現される身体座標空間〈図C〉に沿って身体意識が形成されることが乏しく、自分の身体及び周囲の空間に対して優れた支配力を持つことができない。だから一生懸命練習しても、非常に優れたセンスのある人にはどうしてもかなわないのです。』

『まず脱力を徹底すること。つまり全身をゆるゆるにゆるめ、無駄な筋肉、筋力を一切使わず、必要不可欠な筋肉、筋力を使い切ることです。走運動は歩行運動に比べてより難しい運動ですから脱力もより徹底しないといけない。しかしそれができた時は、歩行運動より素晴らしい快適感が得られます。

より高度な動きの中で脱力が達成された時ほど快適感、充足感は大きいのです。

私が「センター系筋肉群」と呼ぶ、ハムストリング、腸腰筋、横隔膜、脊椎系深層筋群(図D)です。これも歩行運動と同じで、正しい走運動は腸腰筋で大腿骨を前方へ振り出し、ハムストリングで大腿骨を振り戻し、瞬間的に地面を強く押して抗力を得るのです。

さらにそのような運動をするには、体幹部の中心を担っている脊椎系深層筋群が調和をもって使われ続けなければいけない。それができるようになると、走りながら背骨が柔らかく動くようになります。

何と言ってもセンターです。走運動では歩行運動よりも正確に重力の中心である地球の中心をとらえる必要があります。走運動は同じ場所で跳ねているのではなく、前進していくわけですから、地面を押す方向は地球の中心ではなく、地球の中心より少し後ろです。

しかし、正確な方向に押すには、与えるべき力の垂直成分として重力の方向をピタリととらえていなくてはいけない、つまり「垂軸」(身体の重心と地球の中心を結ぶラインに重なるように形成されている身体意識)を正確に形成していなければならないのです。

そして、垂軸を形成するには、見事な「体軸」(解剖学的に体幹部を頭部から足の方向へと貫く軸に重なるように形成された身体意識)が形成される必要がある。地面を押す方向は、重力の方向と水平運動のスピード、さらに加速期にあるか一定の速度で走っている定常期にあるかによって決まってくるからです。加速期は重力の方向と地面を押す方向の角度がより広くなり、定常期になるほど、その角度は狭くなってくるわけです。』

『では、少し難しくはなりますが、さらに皆さんの走法への興味をそそる奥の深い話を二つしましょう。 ひとつは歩きと走りで正しい垂直運動、つまり正しい軸タンブリングや軸ジャンピングが行なわれると、その垂直運動成分が水平運動に転換される「垂水転換」が起こるという話です。

優れた歩き方や走り方をしている人を見ると、身体を上下させることでも水平運動成分を生み、それをハムストリングと腸腰筋による大腿骨のワイプ運動によって生まれる前進力に上乗せし、実に楽にスイスイと進んでいるのです。これは重力を味方につけるエッセンスとも言える現象ですが、おそらくこのことに気づいているスポーツ科学、バイオメカニクス、運動生理学などの研究者は、まだ世界的にいないのではないでしょうか。

そうでしょう。軸タンブリングで垂水転換を起こすには、軸タンブリングの達人クラスの話ですし、軸タンブリングの達人でも摩擦抵抗が大きすぎる床や地面の上で軸タンブリングをしているだけでは、見かけ上、脚の前後運動は起きにくいので、この現象に気づくのは難しいでしょう。

実は、私がこの現象にはじめて気づいたのはスキーを履いて摩擦抵抗の少ない雪の上で軸タンブリングをした時です。身体の上下運動に合わせてびっくりするほど足が前後に動いたのです。そこで、その現象を歩き、走り、さらに武術、舞踊など、あらゆる身体運動で探してみると、優れた運動の中には、この垂水転換が起きていることがわかったのです。

このことを厳密に説明すると話がかなり複雑になりますので、ここでは垂水転換の仕組みがイメージできる範囲に話を留めて説明します。 コイルのバネを直立させ、真上から押して離すとバネは真上に跳ねますね。では、バネを真上から押したまま、バネの重心を少し前に移動させるように傾けてから離すとどうですか。

実はこれと同じようなことが、筋肉というバネを持っている人間にも起こるのです。

実際、人間の身体はもっと複雑ですが、話を極端に単純化すると、正確な軸タンブリングによる垂直運動で重心を落とし筋肉をたわませながら重心を前に移動し、足の位置をうまく調節すると、“たわみ”が戻る力は斜め前方に働くのです。で、その力の水平方向の分力分が、大腿骨のワイプ運動による前進力に加わる。簡単に言うと、これが垂水転換のしくみです。

私がセンター系筋肉群と呼ぶハムストリングや腸腰筋、横隔膜、脊椎系深層筋群をはじめとした体幹筋です。軸タンブリングをする時、これらの筋肉が動員されるパーセンテージが高ければ高いほど、垂直成分が高くなり、垂水転換力も高くなります。』

『100m走でいったら、9秒台で走るレベルの選手たち、たとえばシドニーオリンピック100mの金メダリスト、モーリス・グリーンは間違いなく垂水転換を使いはじめています。グリーンの走りをよく見ると、足を着きながらクシャッと体幹部が潰れる感じがあるのですが、これが垂直成分となる“たわみ”です。この動きがあるほど垂水転換の成分が大きいのです。そのような走りをしている人には、地面を蹴るという感覚はないのです。

表現の仕方には個人差がありますが、地面を掃くようとか、ただ乗っているだけとか、やさしく地面に接しているだけとか、無上になめらかに努力感なしに勝手に脚が運ばれていくというような感覚です。

斬りつけたり、拳法でちょっと突いたりする時でも、わずか数mmでも垂直運動を起こして、それを見事に垂水転換できれば、それだけで相手にとっては脅威になります。

名人、達人になればなるほど、上手く垂直運動を使っています。その大きさが1cmとか数mmでも、垂直運動によって水平成分を生み出すと、対峙した相手の人と全く異質な運動を起すことになりますから、見事にスイスイと相手を封じ込め倒していけるのです。

武術、武道において瞬間的な対峙で相手の動きを認識する時、人は自分が持っている運動構造を認識のベースにしているので、相手が自分とは違った運動構造を持っていると、相手の動きがとらえられないのです。だから、武道・武術では相手が持っていない運動構造を利用するのは大変重要で、それができると消えたように見えるとか神速とか言われる動きができるようになるのです。』

『2つ目は、この垂水転換ができるようになればなるほど「運動基準線」が低位重心移動線から高位重心移動線に移行する「運動基準線の逆転」が起きてくるという話です。 運動基準線とは、ある運動をする時、その人がその運動の基準と主観的に感じている状態における重心の位置に形成される身体意識です。

走運動で重心は接地期から空中期に向かって高くなり、空中期から接地期に向かって低くなる波形を描きながら移動していくわけですが(図G)、この波形の最上点を結んだ線が高位重心移動線、最下点を結んだ線が低位重心移動線です。

走運動では、重心は物理的に空中期に高く、接地期に低くなる波形を描く。垂水転換ができてくるほど、運動基準線は低位重心移動線から高位重心移動線へと移行。身体を持ち上げる意識より脚を垂らす意識が強くなる。

運動基準線が低位重心移動線近辺にある時は、地面に足が着いている状態が基準で、そこから足で地面を蹴って身体を空中にヨイショッと持ち上げる意識が強いのです。

ところが、運動基準線が高位重心移動線に移行してくると、空中に身体が浮いている状態を基準にし、そこから足を下してあげてちょっと地面に触れてはまた戻すという意識が強くなるのです。運動基準線が高位重心移動線に完全に転換したところが、走運動の完成状態です。

それが正に運動基準線の逆転が起きている例です。おそらくそういう走りができている人たちは、自分の運動基準線を、空中期の一番高い、重心が一番高くなったところの近くを結んだラインに置いているのでしょうね。 でも、彼らの運動基準線の位置も野生動物に比べるとまだ低い。

実はチーターがなぜ時速110kmで走れるかといったら、これが完璧にできているからです。体重の重いバッファローやサイなどの走りも、体幹部は浮き脚はプラプラ垂れ下がっている印象じゃないですか。あれが重心の最も高い位置に運動基準線がある動きの典型です。野生動物にとってはそれが当たり前の世界なのに、人間はそれができない。

だから人間はのろいのです。でも、人間にもそれができるメカニズムは潜在的に備わっているのです。

武道・武術、そして舞踊でもそうなのですが、浮身がかかる、脚が抜ける、居付かずに自由に動けるようになります。普通の人は、運動基準線が低位重心移動線上にある。だから、たとえば股関節や膝関節を比較的伸ばして高重心で立っている姿勢から、パッと四股立ちのように重心を落とした姿勢を取ったとたん、その低い位置に運動基準線が落ちてしまい、元の姿勢に戻るには、そこからヨイショと身体を持ち上げることになります。

ところが本当に優れた武術家や舞踊家は、あらゆる瞬間により高いところに自分の基準線を置いている。腰を落とし低重心の姿勢を取る時も常に戻ろうとする力を蓄えながら、高い位置からわざわざ脚を下げて垂らしているという状態にあるのです。

普通に考えれば腰を落とした状態というのは負担が掛かってきつそうだけれど、彼らにとっては低重心の姿勢の方がより楽なのです。黒田鉄山先生も低いほうが楽だとおっしゃっていますが、その裏には、このような運動基準線の逆転のメカニズムがあるのです。』

ケニア!彼らはなぜ速いのか|ニュースレターNO.209

長距離や特にマラソンのトップ選手が次々とケニアから生まれ、そのほとんどかカレンジン族出身であることからその速さの原因を研究者たちはいろんな方面から探そうとしています。一昔前までは、長距離の能力は体重1㌔当たりの最大酸素摂取量によるものと考えられていました。

しかし、記録は伸び続けているにもかかわらず、最大酸素摂取量の上限は変わらない現状がありました。そうした中、北欧の科学者たちはすねが細くて長いからカレンジランナーは速く走れると結論しました。これはテレビでも放映され、私もそれを見ていました。

確かに、アフリカの選手たちの下腿は細く長い体型をしていましたから、なるほどと確信したところがあります。このとき、くるぶしに50gの重りをつけると酸素消費量が1%増えるといっていたことを覚えています。

その他、東アフリカ・ランニング科学センターのピツィラディスは、ケニアのトップランナーは、レース前に体重を落とし、レース中に補給する水分も尐なく、そうして身体を軽くしていることが彼らの速さの秘密であるといい、またDNAから長距離に優れた遺伝子を見つけ出そうとしています。

コペンハーゲンのマッスル・リサーチ・センターのサルティン教授は、筋肉と脂肪のエネルギー代謝の面からケニア人ランナーの強さの秘密を探っています。

当然のことですが、強さの秘密をどれか一つの要因に絞りたいというところに問題があると思います。いろんな要因があってしかるべきで、今後の研究でも強さの唯一の要因を見つけることはむつかしいと思います。

忠鉢信一著の「ケニア!彼らはなぜ速いのか」(文芸春秋2008)という本を読みましたが、ケニア選手の強さの要因を見つけ出そうとするいろんな研究をインタビューを通して紹介されています。長距離走を考える上で、役立つ著書であるといえます。特に、下記に紹介する部分は、ケニア選手を知る上で参考になると思います。長距離に興味のある方は、一度読んでみてください。

『クラウディオはイタリア北部のブレシアにあるローザ博士の合宿所で仕事を始めたが、3年前からケニアに拠点を移した。

あらゆることがヨーロッパとケニアでは異なっているという。

「ここでは、友達という関係の定義も独特です。ただ単に“きみは僕の友達だ”という言い方はしません。ほとんどの場合、“きみは僕の友達だ。きみが必要だから”となります。必要なくなればもう友達ではなくなるということです。カレンジンの生活はもともと毎日がサバイバルだったからなのでしょう。

今でも、朝起きてまず、その日の食べ物を心配しなければならない人がたくさんいます。ヨーロッパでいう友人関係を築く余裕などないのかもしれません。ここでいう友達は、言ってみれば“助けるけど、借りは返して”という関係。私が見ているランナーたちも、何かが必要なときに私のことを“友達”と呼びます。

シューズをくれないかな、友達だろっていうふうに。私は彼らに“シューズはあげるけど、友達と呼ばないでくれ”と言い返します。友達はそういう関係ではないと私は思います。本当に信頼できる人が私にとっての友達ですから」

ケニアの人々を知り、それからランナーを知った。そういう順番だったとクラウディオは語った。

「最初にローザ博士がアドバイスしてくれたことですが、それがこのキャンプの成功の秘密だと思います。“ケニアに行って誰かに命令しようと思うな。反対に、彼らにどうしたら良いコーチになれるか教えてもらえ”」

ランニングを教えるときも、ヨーロッパでの常識は通じないという。

「例えば1000メートルを2分50秒のペースで走り、200メートルを1分30秒で流すというインターバル走を10回繰り返すとします」

1000メートルを2分50秒のペースで1万メートルを走ると28分20秒。マラソンを走ると2時間ちょ
うどで走りきるスピードだ。

「ヨーロッパ人のトップ選手にやらせたら、必ず2分50秒ちょうどで走るはずです。ペースが乱れても2分49秒か2分51秒でしょう。ところがケニアではそうはいきません。2分50秒で10本、わかったな、とどれだけ確認しても、何が起こるかわかりません。最初の1本目は3分で走ってくるかもしれません。そのうち2分45秒までペースが上がってしまい、また3分近くまで遅くなってしまうこともあります」

ケニアに来て間もない頃、クラウディオはそのために混乱したという。一流のランナーなのに、いったいなにをやっているのか、と。しかしローザ博士の教えを思い出して我慢しているうちに、なにが起こっているのか、コーチとしてどうすればいいのかがわかってきた。

「予想もつかないハイペースでインターバル練習をすれば、コンスタントに2分50秒を繰り返すよりも高い負荷がかかる。これはこれでいいと思うようになりました。問題はそんな練習を毎日続けていたら、2週間で選手は壊れてしまうことです。どうしたらいいのか。そこにもう一つの成功の秘密があります。

ときには競わせ、ときにはコントロールする。言葉で指示するのではなくて、そういう状況を作り出すことによって、練習を微調整していきます。練習の結果を見ながら、次の練習を組み立てていきます」

キャンプの中には、ヨーロッパやアメリカに住んでいるコーチが練習プログラムをファックスで送り、実際の練習は選手に任せているところもあるという。

しかしクラウディオが言ったようなケニア人のメンタリティーを理解していれば、外国のオフィスから練習プログラムを送りつけても、それがどんなに綿密に計算された良いプログラムでも、役に立たないことがわかる。

カプサイトのエリックが自ら併走しながらランナーのグループを組み替え、選手の息づかいを聞きながらペースを調整していたのも、クラウディオの言う「秘密」と同じ理屈なのだろう。

「私が1時間の軽いランニングをしなさいと指示したとします。20人のランナーは軽く走り出します。ところがそのうちの一人が、今日は気分がいいからちょっと自分の脚を試してみるか、とペースを上げます。コーチの私は、だめだ、おまえは先頭に立つなと止めます。すると別のランナーが先頭に立ってペースを上げます。

自分だってそのくらいのペースで走れるということを見せたいのでしょう。ちょっと待て、おまえもだめだ、後ろにつけ、と私は指示します。すると今度は別の選手です。その繰り返しをしているうちに、1時間の軽いランニングが、1時間のレースになってしまいます。

イタリアのオフィスからファックスで練習プログラムを送って選手に任せていたら、1時間の軽いランニングが1時間のレースになってしまったことなどわかりません。選手の疲労を知らずに、翌日には予定通りの練習プログラムを指示してしまうでしょう」

それならば、ヨーロッパの選手がするように、コーチのプログラム通りに練習できるようにケニアのランナーを教育すればいいのではないか。

「競争への意欲にあふれたカレンジンのメンタリティーを練習に利用しない手はありません。彼らからそのメンタリティーを奪ったら、彼らはもうカレンジンのランナーではなくなってしまうでしょう。これもローザ博士が言っていたことです。グループで練習しているので、ペースが上がったときについていける者といけない者が出てくる。

速い者同士のグループができて、その中で競争してまた強くなる。そういう自然淘汰が毎日のように起きているのです。ただ競争だけさせていればいいというものではありません。練習中になにが起きているのか。きちんと知っておかなければ、どう対処したらいいかはわかりません。それぞれの個人的な事情を把握しておく必要もあります。そういう情報を利用して、練習の状況をうまく調整していくことがコーチの役割です」

クラウディオは強調した。

「彼らの生まれついた性質である競争意識を殺してはいけません。そのメンタリティーが彼らの速さの秘密なのです。そしてこの性質はグループで練習することによって磨かれています。個人練習では磨かれません」

クラウディオの話は私の中にすっと入ってきた。モンバサでアイルランド人コーチのブラザー・コルムの話を聞いていたからだ。プラザー・コルムは「何が人を走らせているのかが大切だ」と言っていた。クラウディオはケニア人の競争心旺盛なメンタリティーだと考えて指導していた。

翌朝6時からの練習には30人から40人のランナーが集まるという。しかし正式にクラウディオが指導しているランナーは10人ほどしかいない。ほかのランナーはそれぞれ勝手に練習に加わってきているだけだ。

「彼らは挑戦しに来ているのです。彼らはいつかランナーになろうという夢を持っています。ケニアに来たばかりの頃、彼らに「どうせランナーにはなれないのだから、やめたらどうだ』と言ってしまったために、ほかのランナーまでやめてしまいそうになったことがありました。

彼らにとって走ることは夢であり希望です。私が言ったことは、人生も夢も希望も捨てなさいと言っているようなものでした。今では、だれでも走らせてあげています。彼らがいることによって大きなグループが形成され、彼らの思いがけない走り方によって、予想もしないシチュエーションが練習中に起きます。それでいい。

毎日が一つとして同じ練習ではありません。私の選手たちはそういうふうに練習していくことによって、あらゆるペース変化に対応する力がつきます。コーチにとっては簡単なことではありませんが、よく観察してプログラムを調節していけば大丈夫です」

マッサージを受けているベンソンに聞いてみた。

練習の時、どうしてコーチに言われたペースを守れないのだろう?

「レース中に起きるかもしれないどんな状況にでも対処できるように練習している。レースのように練習している。速く走るための練習なんだから、“もっと速く走れる”と感じたら、それを試す。だれかがそうした時についていけなかったら、一入でおいていかれてもう練習は終わったようなものになってしまう。

ついていかないと練習にならない。決められた練習プログラムがあるのは知っている。その通り走ることもある。でもその通りに走らないこともある。自分を試したくなるから」

クラウディオがベンソンの言葉を継いだ。

「練習プログラムがあるのに、彼らは競争を始めてしまいます。練習でなにが起こるかまったく予想がつきません。ランニングの教本に書かれている言葉で彼らがしていることを説明するとすれば、多様なペースへの適応力を鍛えていることになります。でも彼らはそんなふうには考えていなくて、走るんだ、先頭を走るんだ、先頭を走り続けられればレースに勝てるんだ、というふうに考えてる。

そういうふうに走れとだれかが教えたわけではなくて、彼らにとってそれが自然なのです」

様々なペースで走ることであらゆる筋線維の力を最大限に引き出そうとする練習理論は多くのトップコーチが試みている。でたらめな練習どころか理にかなった高度な練習を自然にやっていることになる。

ベンソンが弁解するように言った。

「クラウディオがゆっくり走れと言ったら、自分はそうする。でもだれかがスピードを上げたら追いつかないと練習にならない。そのときはクラウディオのプログラムを忘れてしまう。そうするとクラウディオのプログラムを台無しにしてしまうこともわかっている。でもただ忘れてしまうんだ」

コーチの仕事をしながら、クラウディオはミラノ大学に提出する卒業論文を書く準備をしていた。ケニアでしてきたこと、見てきたことを書くという。

「何もしないで2時間6分で走れるはずがありません。メンタリティーやライフスタイルなどと練習が組み合わさって初めて、そういう選手になれます。三つとか五つの要素だけを見ていたら間違えるでしょう。たくさんの要素が絡んでいるので、すべてを総合して説明しようとすると、結局それはまるで、彼らがカレンジンだから速いと言っているようなものになるかもしれません。

私はケニアのランナーについて調べたあらゆる研究論文を読んでいます。すべてが役に立つとも言えますし、一つも役に立たないとも言えます。文献から得た知識と私の経験が結びつくと、いろいろなことに気がつきます。例えば、朝の練習は何も食べず空腹のままロングランやインターバル走をします。

血液中のグリコーゲン(糖)が尐ない状態なので、身体は脂肪を早くエネルギーとして利用しようとします。脂肪のエネルギーを効率よく使えるようになれば長距離走には有利ですから、運動生理学的に理にかなった練習方法と言えます。私はケニアに優れたコーチがいないとは言いませんが、やはりスポーツ科学の最新の情報に触れられないことはケニア人コーチにとってハンディになっているのではないでしょうか。

でも私の論文には、ケニアの外に住んでいる人が書いたことは忘れて、私自身がケニアでの経験から学んだことを書くつもりです。これがケニア人ランナーの速さの秘密です、なんて簡単に書くことはできないでしょう。秘密があるとすれば、ケニアでは、予測不可能なあらゆる状況に適応していかなければ生き抜いていけないことに関係しているかもしれません。

常に変化する状況に適応できれば最高のランナーになれるし、最高のコーチになれるでしょう」

クラウディオがケニアで学んだ指導のノウハウを他の国へ持ち込めば、ケニア人並みの選手を育てられるのだろうか。セント・バトリック高校のアイルランド人コーチ、プラザー・コルムは、ケニアと同じ方法で教えても、ほかの国では成功しないと断言していた。クラウディオの考えも同じだった。

「尐なくともヨーロッパでは無理でしょう。ケニア人が持っているメンタリティーをヨーロッパ人は持っていませんから」

メンタリティーの違いを理由にしたのもブラザー・コルムと同じだった。

「ミラノマラソンで優勝したことがあるうちのキャンプの選手の一人、キプチュンバ・チェロノがあるときこんなことを言っていました。『ケニア人ならだれでもランナーになれる。違いは練習するか、しないか、だけだ』って。ケニアの人たちは、一人ひとりの才能の違いはほとんどないと思っています。

持っている才能はみな同じだ、と。だから、彼に走れるなら、自分にも走れると、自然に思っているのです。でも私にはそんなふうには思えません。ある人は才能を持っていて、ある人は持っていない。そういうふうに考えるはずです。あなたは違いますか?」

ケニア人は特別な存在だ。特別なメンタリティーがケニアのランナーを特別な存在にしている。クラウディオはそう考えていた。

「カレンジンの人々は、耐え方を知っています。だから人間の限界まで力を出せるのだと思います。どんなペースで走るのも怖れません。このペースであと何キロ走れるかとか、このままいったら続かないとか、そういうことを計算せずに、自分の身体の感覚だけを頼りに走っています」

夜はローザ博士の豪邸に泊めてもらった。クラウディオはジャネスの家に向かった。門番がいるから、玄関の鍵は閉める必要がないと言われた。洗濯物を出しておけば、明日の朝練習の後までに女中がアイロンをかけて戻しておいてくれるという。シャワーを浴びて、ベッドに入ったら、必ず蚊帳を使うようにと注意された。

翌朝5時半、クラウディオが運転するトヨタ・ハイラックスのピックアップトラックで、カプサベトへ向かった。そこには木造の小さな観客席が設けられている赤土の400メートルトラックがあった。名前は「ケイノスタジアム」だ。

スタジアムは、大人の腰ほどの高さに積み上げられた煉瓦で囲われていた。400メートルトラックの楕円は赤土に半分埋められた石で描かれていた。
ランナーたちは三々五々走って集まってきた。それぞれにストレッチをして身体をほぐす。

煉瓦の塀の向こう側では、女性たちが牛の乳を搾り始めた。通学の途中という様子の子どもたちが、そこが近道なのだろう、トラックとフィールドを小走りに横切って行った。

クラウディオはーカ月後のロンドンマラソンを目指すマルティン・レルの様子に神経を集中していた。

レルは2002年にローザキャンプに加わり、翌2003年は4月のボストンマラソンで3位、10月の世界ハーフマラソン選手権で優勝、11月のニューヨークシティーマラソンで優勝と大活躍した。2004年は賞金がかかった短いロ1ドレースを中心に走り、メジャータイトルはボストンで2位という結果しか残せなかったが、2005年にはロンドンマラソンで初優勝を飾った。

2007年はロンドンとニューヨークの2冠を狙っていた。層の厚いケニアのマラソンランナーの中でも急成長している選手の一人。晩年にさしかかっているテルガトの後継者候補として存在感を大きくしていた。

クラウディオがレルの様子に気をつけていたのには特別な理由もあった。3週間前にアメーバ赤痢にかかって、1週間ほど寝込んでいたからだ。その間、練習を完全に休み、一時は4月のロンドンをあきらめなければならないかもしれないと心配されていた。

しかしアメーバ赤痢が治ると、レルは信じられない回復を見せた。「今はもうすでに最高のコンディション。ロンドンでは何かをしでかすはず」。復帰からわずか2週間で、クラウディオはレルの調子にそこまでの感触を持っていた。

「何かをしでかす」という言葉には、世界記録の予感をにじませていた。私は半信半疑だった。高熱と下痢で寝たきりになり、それから練習を再開して2週間でそんな状態にまで回復できるだろうか』