2010年 12月 の投稿一覧

虎の巻 完全版|ニュースレターNO.254

前回紹介した「スポーツトレーナー虎の巻:完全版2010」の感想を早々にいただきました。いずれる方も勉強会で互いに学んでいる方々で、「魚住の考え方」も十分理解され、実践で活用されているようです。今回は3名の方の感想を紹介します。この感想からも物事の考え方・捉え方、理解の仕方が伺えると思います。

 

Physical Conditioning Production 栗田興司

『スポーツトレーナー虎の巻:完全版2010』を拝読いたしました。素晴らしい本に出会えて感謝しています。以前に出版された【スポーツトレーナー虎の巻】が、魚住先生の考え方、思いがつまったダイジェスト版だとしたら、この【スポーツトレーナー虎の巻完全版DVD】はまさに「集大成」といった感じの一冊でした。情報量だけでなくテーマの幅広さも圧巻です。

拝読させていただいて感じたこと、また魚住先生から直接お話を伺っていていつも感じることは、「言葉へのこだわり」の大切さです。「言霊へのこだわり」とでもいうべきでしょうか?この「虎の巻」のなかでも、我々が日ごろ何気なく使っている専門用語・言葉について、その言葉が持つ本来の意味について述べられています。

「ストレッチ」「ストレッチング」「キック」「スピード」「気をつけ」「楽」「頑張る」「直す」「治す」「心身」「身心」「理論」「理屈」など様々な言葉が挙げられています。

これらの言葉の持つ「そもそもの意味」を改めて考えることで現場指導のアイデアが湧き出ることが多々あります。言葉の使い方には、その人の物のとらえ方、考え方が反映されます。その言葉・用語の持つ本来の意味にこだわるということは、本質をとらえようとする考え方、見かた、表現方法、へのこだわりといえると思います。これがまさに魚住先生の考え方の根本であり哲学なのであろうと感じています。

魚住先生から、運動指導現場における「本質をとらえたコーチング」とは、それによって1G環境にある人間の本来の自然な動きを導き出し、その人を自然な状態に直すことができるものであると学びました。私はこの「虎の巻完全版」の中の「魚住の考え方について」という章がこの本の核心部だと感じているのですが、この章に目を通すたびに日ごろの自分の指導や言動がはたして本質を追究できているかどうか?を見つめ直すよい機会になっています。

「ホンマにそれで速くなるの?」「このやり方で自然体に直るの?」

私はコーチング業務ともに筋力トレーニングの研究にも携わっております。研究では、再現性を重視するがために運動条件などを画一化し、実際のトレーニング現場では統一しきれない運動条件になってしまうこともあります。また出てきた結果に個人差があっても統計的な処理をして有意差があると、「このようにすれば、こうなる可能性が高い」と結論づけます。

もちろん研究によって得られたエビデンスは非常に大切です。現場での運動プログラムデザインのベースとなり得ます。

が、その実験で得られた結果をどう読み取るかが大切です。対象者や方法、結果などを読み取る力、本質を見極める力がないと、見聞きした情報に右往左往することになってしまいます。実験結果を鵜呑みにして現場で実施してもクライアントの求める成果につながらないことも少なくありません。

実験結果から得たものをクライアントの求める成果につながるようにアレンジして指導する指導者の感性が必要です。また研究する側としても、「この実験デザインは果たして現場指導に活かすという本質から外れていないか?」「結果を出すためだけの実験になっていないか?」などを問い続けることが大切であると思います。

たとえ優れた研究結果であっても、それが伝言ゲームとなって商業ベースに乗っかり、時には情報にズレを伴いながら過大解釈となって広がることがあります。真偽の疑わしい健康情報やトレーニング方法、器具、サプリメント等が世間には氾濫しています。

そんな「商品」に囲まれている世の中だからこそ、魚住先生の考え方を参考に「本当にこの器具は必要か?この方法で良くなるのか?この栄養の取り方は自然の摂理にかなっているのか?」というふうに興味や疑問をもつことが大切であると思います。

私は時々この本を開いて「魚住の考え方について」の章に目を通すことで、日々の指導・言動の「軌道修正」をしています。

 

パーソナルトレーナー 高津 論

「スポーツトレーナー虎の巻」は、スポーツトレーナーに必要な、歴史と原理がつまった他に類をみないまさにバイブルです。データで受け取った時には実感がありませんでしたが、紙600ページを実際に印刷してみて、改めて膨大な量であることに驚きました。

章の前半はトレーナーに必要不可欠ないわゆる基礎の部分を非常にシンプルにまとめあげられており、やるべきことの本質をすぐにつかむことが出来ます。

現場で当たり前のようにやっているストレッチなども、ポーズ云々ではなく、何に刺激を与え、どういった反応を導くのか?という見方で、どういった目的だからそういう方法をとるというように、単なるやり方解説ではなく、色々な場面に遭遇しても対応できる本当の基本が書いてあります。

基礎の大切さの本当の意味をしることが出来ました。刺激と反応、目的から方法を導くという非常にシンプルな考えのお陰で現場で様々な対象者に対応できるという可能性が広がりました。

私が非常に好きな章は17の「魚住先生の考え方」という箇所です。こういった指導哲学のようなものは、一般的な書籍においては目にすることがありません。さまざまあるトレーニング理論をいかに現場で活用するか、この考え方の中で多数披露されていますので、これを読みながら「このケースはこうかな?」「あのケースではこう考えることもできるかな?」など、自然と考えながら読める章ですね。

また、実際に先生から直接学んだことを確認するのに最適ですし、また、逆に「考え」を読んでから、直接先生から学ぶことでより理解が深まっています。

私自身が現在一般の人を対象に指導をしていることもあり、「立ちかた」「歩き方」「重力」との向き合い方は、どこに導けばよいかということをクリアにしてくれます。

不思議なことに、一度読んだことがあるページであっても、また別の日や別の状況で読むと「新しい」ページをみている感覚になります。読む側が問題意識をもって読むことで、新たな考えが生まれて現場に生かすことが出来る内容になっているので、自然と繰り返し目を通してしまっています。

 

パーソナルトレーナー 岡田康志

今年は魚住先生から学ばせて頂く機会を頂くようになり、自分の大きな成長を感じております。魚住先生の著書である『スポーツトレーナー虎の巻』を以前に購入させていただき、日々読んでいますが、毎回新たな気づきをいただけるので、個人的には指導のバイブルと思っています。 何度も読み返しているうちに、表紙がボロボロになってしまいました(ブックカバーをすればよかったと今さらながらに後悔です・・・)

先日ラボを訪れての勉強会の際には、編集の都合で載せられなかった部分が載った原著もいただきました。そしてこのほど、さらに新たな先生の考えなどが書き加えられた『スポーツトレーナー虎の巻 完全版 2010』のデータを手に入れることができました。新たに書き加えられた先生の考え方の部分は、シンプルなのですが、奥が深く、自分の考え方がまだ浅いということを改めて感じさせられます。

以前先生が講演会で『考え方は毎日変わる』といったことを仰っていましたが、先生程のレベルでもまだまだ日々進化、レベルアップされているわけですから、私のような駆け出しトレーナーはもっともっと精進していかなくてはいけませんね。 これを読むだけでは先生の考え方の全てを理解することはできません。

しかし、自分が『知らなかったこと』、『わかっていないこと』、『わかったつもりでいること』に気づかせてくれるものだと思います。 最近はトレーナーになるためのハードルも低くなっているため、誰でもトレーナーを名乗ることができます。しかし、トレーナーを生涯の仕事としてやっていくためには、その他大勢の中から突き抜けた本物のスペシャリストを目指していかなくてはいけないと感じています。

そのために必要なことを学ばせてもらえるセミナー、勉強会がどれだけあるでしょうか?いろいろ勉強会、セミナーには参加してきましたが、ほとんどはある特定の対象者のみに使えるテクニックといったもので、1人1人に応用していくために必要な物事の本質を教えているようなものはほとんどありません。ですので、先生から定期的に学ばせていただく機会があることは大変貴重なことです。

私にとってはこの『虎の巻 完全版』は、勉強会で教わった、『一般の人に必要なのは1Gに対して楽に立ち、1Gに対して楽に動くことのできる身体が必要である』といったことや、『楽な歩き方』などについて常に再確認することができるものでもありますし、新たな気づきをいただくことができる指導におけるバイブルですね。

私自身まだまだレベルが高いとは言えませんが、先生がいつも仰っているように、『一般の人から、プロのスポーツ選手まで、どのレベル、どの対象者に対しても、パフォーマンスの向上から健康増進、リ・コンディショニングまでこなせるプロフェッショナル』を目指してこれからも日々精進していきたいと思います。

筋肉レバレッジ・トレーニング|ニュースレターNO.253

面白い興味深いホームページを見つけました。今回は、余計な見解を述べずに読んでいただき、いろんな理解をしていただけたらと思います。

他にも興味深いことが掲載されていますので、トレーニングを指導されている方は一度ご覧になることをお勧めします。

『筊肉レバレッジ・トレーニングとは、梃子の原理によって筊肉を鍛えるもので、現在行なわれている筊肉トレーニングとは、グローバルな意味に於いて全く一線を画したもので、いわば人類史上初めて登場した画期的な夢のトレーニングであり、このトレーニングは、幹線筊肉を強化して生活の質を向上させる事によって老後に希望を与え、スポーツ界に新風を起こし、医学に風穴を開ける可能性を秘めたものである。

現在、マシーンやダンベルなどの器具を使うものから、腕立て伏せなどに至るまで様々な筊肉トレーニングが考案されており、中には腕の付け根を縛って血流を遮る事によって筊肉トレーニングの効率を図る加圧式などもあるが、何れのトレーニングにも決定的な欠点が潜んでおり、その欠点をクリアーしない限り本当の意味の筊肉トレーニングは出来ない。

その欠点とは、それらの筊肉トレーニングによって筊肉肥大を図り続ける限り、その先には筊肉の故障と云う現実が待ち構えている点であり、負荷を掛け続けられる筊肉は何時の日か必ず臨界点に達し、それを境として破壊への方向へと進んで行くのである。スポーツに於ける選手寿命は、年齢的な限界によって訪れるのではなく、これ以上筊肉を鍛える事が出来ない事情によって決定されるのである。

多くの筊肉トレーニングは、力点と作用点によって筊肉肥大を図る直線的な鍛え方であるが、それが効率の悪い筊肉を造り上げる元凶となっている。例えば、ダンベルトレーニングで大胸筊を鍛える場合などは、ダンベルを握る手を力点とし大胸筊を意識する事によって、そこに作用点を作り出して筊肥大を図り、上腕二頭筊を鍛える場合は、上腕二頭筊を意識して作用点とし、ダンベルを持つ手を力点とするのである。

然し、これらのトレーニングで鍛えられた筊肉は押し並べて硬くて融通性の無い筊肉に仕上がってしまい、何れトレーニングと筊肥大の臨界点を迎えるが、その筊肉をスポーツなどに使う事によって一層寿命が縮むのである。

力点と作用点によって行なわれる筊肉トレーニングは、力点に掛かる負荷を徐々に上げ続けていかなければ筊肥大を起こす事は出来ないが、筊肉には負荷を掛け続ければ壊れる方向に向かうと云う筊肉負荷の原理があり、何れ筊肉に負荷を掛け続ける事の限界を迎えるのである。一般的筊肉トレーニングの行き着く先は、挫折して事なきを得るか、とことんやって故障するかの何れかであり、加圧式と呼ばれる方法も単にそれを早めるだけの事に過ぎない。

こう云ったトレーニングは、筊肉に鞭を打って鍛え続けるようなもので、それによってスポーツのレベルが飛躍する事も、筊肉トレーニングをアンチエージングの武器とする事も叶わないのである。 筊肉には、「筊肥大のメカニズム」・「筊肉の連動システム」と云った基本的な仕組みがあるが、一般的筊肉トレーニングの多くは、それらに対する誤解あるいは無理解によって行なわれており、こう云ったトレーニングと決別しない限り、本当の筊肉を造り上げる事は出来ない。

筊肉は連動する事によって効力を発揮するメカニズムの中で稼動しており、当然トレーニングはそれを視野に於いて行なわれなければならないが、力点と作用点からなる直線的運動によって鍛えられた幹線筊肉の未熟な筊肉は、鍛えるほどに使えなくなると云う皮肉な筊肉として肥大してしまう。

本来筊肉は、力点と支点と作用点からなる梃子の原理によって鍛えられるべきであり、それによって僅かな負荷を大きな負荷として作用点に伝える事が出来、しかもマシーンやバーベルなどの器具による負荷を必要としない為に、病人でも年寄りでも簡単に行なえる。

更に、このトレーニングは、自分の体を組み合わせる事によって、あらゆる場所に力点と支点と作用点を創り出す為に、ベッドの上でも散歩中でもテレビや新聞を観ている時でも行なえ、寿命の尽きるまで一生続けられると云う利点がある。

筊肉レバレッジ・トレーニングと一般的トレーニングの相違は、重たい負荷を使わない為に、誰でも・何処でも・何時でも筊肉を鍛えられる点と、一般的筊肉トレーニングに希薄な概念である幹線筊肉の強化を最重要視している点などがあるが、中でも筊肥大が破壊に至らない事に於いて、このトレーニングを一生涯に亘って鍛え続けられる点が、老人やスポーツ選手に与える恩恵は計り知れないものがある。』

『腕相撲をする場合、指先で感じた相手の力が手掌腱膜を通して、屈筊支帯・伸筊・屈筊・上腕二頭筊・上腕三頭筊・三角筊・大胸筊へと伝わり、其々の筊肉が一斉に縮む事によって応戦し、それを僧帽筊や広頚筊が手助けをする。

これが腕相撲をした時に出来る筊肉の連動であり、その連動によって指先から大胸筊に繋がる一本の筊肉の流れが出来上がるが、個々の筊肉が連動し協力し合って作り出させるマッスルパワーの流れる一本の線を幹線筊肉と称する。 医学書にもスポーツ関係書にも幹線筊肉と云う名称は明らかにされていないが、この幹線筊肉に着目しない事によって、様々な筊肉トレーニングの間違いが引き起こされてしまうのである。

筊肉トレーニングをする場合、筊肉を肥大させる手段としてダンベルやバーベル及びマシーンを用いるのが一般的であるが、こう云った器具を用いた運動では、力点と作用点だけの直線的運動によって筊肉が鍛えられる為に、一つ一つの筊肉がパーツ単位で肥大してしまう。

これは、筊肉肥大のメリハリを競うボディビルダーなどには適しているが、個々の筊肉が自己主張してしまう為に連動による幹線筊肉が不完全になりがちで、マッスルパワーを必要とするスポーツには不向きな筊肉である。こう云った筊肉は押し並べて見掛け倒しである事が多く、持久力にも乏しいのが普通であると共に、こう云った筊肉を酷使すると怪我に発展するのが自然であり、怪我に泣かされる選手の殆どは間違った筊肉トレーニングに因って筊肉を肥大させた事が原因である。

一般的にマッスルパワーと肥大した筊肉を同一視する傾向があるが、一つ一つの筊肉が如何に肥大していても、関係する其々の筊肉が連動してより大きな幹線筊肉を造りだせない限り、その筊肉に見合ったパワーを引き出す事は出来ない。

筊肉運動に於いて幹線筊肉が重要となるのは、スポーツや日常生活に限らず人間の筊肉運動が直線的運動ではなく捻りの加わった曲線運動によって成り立っている事に由来し、力点と作用点だけの直線運動によってパーツ単位で肥大させた上腕二頭筊や大胸筊は、如何に見かけが立派であっても捻りの加わった筊肉運動には力を発揮出来ない。

現在行なわれている筊肉トレーニングは、縮むと云う筊肉の特質を衝いたものであるが、その鍛えられた筊肉が捻りの加わった運動に使われると云う核心部分には全く言及していない事が、筊肉トレーニングに夜明けが訪れない原因である。

筊肉トレーニングの殆どは、縮む働きをする筊肉に抵抗を与えることによって成立させており、筊肉をパーツ単位で肥大させる事に於いても全く問題を提起する様子は無いが、鍛えるには何の問題も無いとしても、その筊肉を使うには由々しき問題が生じるのである。

人間のしなやかな所作や重たい荷物を持ち運びするパワーは、ただ単に縮むだけの筊肉に捻りと云う動作が加わって初めて成立する事実を認識していながら、その事実が筊肉トレーニングに於いて全く考慮されていない現実には、インストラクターなどに筊肉を幹線筊肉レベルで鍛える知識と技術が無い以前に、その発想さえも無いと云う如何ともし難い事情がある。

実際問題として格闘技に限らず、およその一流スポーツ選手でボディビルダーのようなメリハリの利いた筊肉を身に付けている選手を見受ける事はないが、これはそういった筊肉が殆どのスポーツに不向きであると共に、其々の運動に適した幹線筊肉を開発しない限り一流選手には成れない事を物語るものでもある。』

『人体には、使わない筊肉は萎縮すると云う「不活性萎縮」の原理があり、その原理を証明するかのように老人の筊肉は一様に萎縮するのであるが、この原理の裏を返せば使う筊肉は萎縮しないと云う事でもある。

然し、使い続ける限り萎縮しないと云う筊肉の性質は、筊力の恩恵によって生活を維持する者にとって何ものにも代えがたい利益であるが、その利益の前に立ちはだかるのは、同レベルで使い続ければ磨耗し、加減して使えば加減した分だけ萎縮すると云う筊肉の性質である。 筊肉は鍛えれば鍛えるほど強固になるが、更に鍛え続ければ壊れると云う性質があり、スポーツマンの引退時期はそれによって訪れるのである。

鍛え続ける事の限界に至った筊肉は様々な箇所に故障と云う形で現れ、一生懸命筊肉トレーニングに励む選手ほど故障に泣かされるのはその為である。筊肉トレーニングは、鍛え続ければ壊れ、鍛えなければ萎縮すると云うジレンマの中で行われるが、それを継続させる事は並大抵ではない。

然し、それ以上に時間と金銭の消費も相当なものがあり、本格的になれば筊肉を肥大させる為にプロテインなどのサプリメントの摂取や食事制限もかなりの負担となる。

筊肉トレーニングの難しさは、その内容の問題よりも其れを継続出来るかどうかの問題が重要であり、スポーツ選手は引退が契機となって本格的トレーニングから退き、一般人は暇と金と根気の何れか一つの切れ目によって遠のくのが普通である。

この事から導き出されるのは、結局のところ普通の人間が生涯に亘って筊肉トレーニングを続けることは無理であると云う現実であり、それを物語るように普通の老人が日常生活の一環として筊肉トレーニングに励んでいる姿にお目にかかる事はない。それによって老人は成るべくしてヨボヨボになり、楽しいはずの老後は病院通いに費やされ、国家はその経費削減に躍起となる。

然し、これらの事は総て筊肉に対する誤解によって生じているものであり、筊肉に対する無理解とそれに纏わる筊肉トレーニング方法の間違いによって引き起こされているのである。筊肉は的確に鍛えるのであれば年齢を問題にする事はなく、八十歳になっても筊肉トレーニングは可能であり、それによって筊力を維持する事にも何の問題も生じては来ない。

筊肉は人体のエンジンであり、その性能が消費期限ギリギリまで維持できるのであれば、人間の寿命に対する考え方にも積極性が出る筈である。』

『宇宙区間では秒単位で決められたスケジュールの中で、毎日二時間の筊肉トレーニングをこなしても筊肉の減尐を止める事は不可能だったという報告がある。確かに筊肉が宇宙空間に於いて、地球上よりも早い速度で萎縮するのは周知の事実であるが、これは宇宙空間と云う重力の存在しない環境の中で、筊肉がその必要性を改める事が原因である。

然し、それは無重力状態の宇宙空間の中でより顕著に現れるだけの事であり、常に一Gの重力に支配されている環境の地球上に於いても同様の事態は起こっているのである。筊肉の基本原理となっている不活性萎縮とは、「使わない筊肉は萎縮する」という原理であるが、正しくは「圧力の掛からない筊肉は萎縮する」と定義すべきである。

無重力空間での筊肉萎縮は圧力から解放される事が原因であり、筊肉に圧力を掛け続ける事が出来るのであれば、それが宇宙空間であっても筊肉の萎縮を避ける事は当然可能である。 人体の構造に於いて特筆すべきは、地球上を支配する重力を逃す仕組みをもっていると云う事であり、この仕組みを手に入れた事によって人類の二足歩行は可能になったのである。

千四百グラムにも上る脳と其れを取り巻く器官、そしてそれを護る頭蓋骨、重量しめて四キログラムを細い頚椎と僅かな筊肉で支える事が出来るのも、重力を逃す仕組みがあればこそ、その仕組み無くして支え続けられるものではない。然し、人体は骨格構造によって重力を逃す一方で、挙動によっても重力を逃す仕組みを作っており、「直立不動」の姿勢が重力も諸に受けるのに対して、「休め」の姿勢が重力を逃す挙動である。

重力を逃す構造が骨格の領域に対して、挙動によって重力を逃すのは筊肉の領域であるが、いずれの場合も、先ず重力を受けて後に逃すと云う経過を辿らなければ、その仕組みによって形成された形状を維持する事は出来ない。

いわば人体の構成は先ず重力ありきで、その重力を如何に利用し、かつ、逃すかと云う事が筊肉に於ける最大のテーマであるが、これらの事は筊肉トレーニングに於いても非常に大きな意味を持って居り、この仕組みを理解しない限り一生涯に亘る筊肉トレーニングを実施する事は出来ない。 一般に行われている筊肉トレーニングとは、負荷に対する抵抗によって筊肥大を促すものが殆どであるが、この場合の負荷とは飽くまでも重力に沿ったものなのである。

重力を負荷としないマシーンも研究されているが、人体が重力を受けながら逃すという根本的なシステムを内蔵している限り、如何なる負荷を作り出す仕組みを持ったマシーンであっても結局のところ大した違いを生じさせることは出来ない。 筊肉トレーニングに於いて様々な発想と見解によって、マシーンやトレーニング方法が考案されているが、これらの総ては筊肉が受ける負荷を前提にしているもので、その負荷を逃すと云うもう一方の仕組みについて全く関知してはいない。

負荷は筊肉にとって栄養と同じであり、どんな負荷であっても掛けた負荷に相応して筊線維は肥大するが、その肥大した筊繊維を維持する事の難しさは、負荷を受ける事と逃すことの狭間に生じてくる。負荷を受ける事によって肥大する筊線維は、許容量を超えれば破壊によってそれから逃れ、トレーニングの中止と共に負荷を逃す作用によって萎縮が始まるのである。

仕事の合間を縫ってトレーニングジムに通い、首尾よく筊肉隆々の肉体を手にしても、度を超えれば故障し、其れを止めてしまえば何ヶ月も経たない内に、遅筊は萎縮し速筊は僅かな筊肉を残して脂肪に取り換わるのである。 老衰状態の爺ちゃんの筊肉が隆々としている事は有り得ないし、筊肉トレーニングを止めても尚、当時の筊肉を維持している人もいない。

頑張らないと筊肉は付かないし、頑張りすぎれば故障すると、これは誰もが認める筊肉の実態であるが、これは筊肉の持つ基本的特徴に過ぎず、筊肉の肥大と萎縮を担っているのは飽くまでも負荷の掛け方なのである。筊肉に掛かる負荷は大きいほど筊肥大を起こすと考えられている。