振動について|ニュースレターNO.188


 

著者:伊藤 出パーソナルトレーナー / IDEALSTYLE代表

パーソナルトレーナー歴11年|元三笠宮寛仁親王殿下のパーソナルトレーナーであった魚住廣信名誉教授に師事|指導経歴:宝塚歌劇団員・三菱重工神戸野球部員・ボクシングミニマム級5位など|アスリートフードマイスター&元板前。

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マトヴェーエフ氏の著書「ロシアの体育・スポーツトレーニングの理論と方法論」要約書店にも並ぶようになりましたが、事前にご希望いただいた方にはすでにお手元に届いたようで、喜びの返事をいただいております。反響がよろしく、多くの会員の方から購入希望をいただきました。

本物の指導者・コーチを目指すものにとって必須のバイブルであることは、読んでいただいたら分かります。根本的な考え方と方法論の考え方が書いてあることから、読みながらいろんなトレーニング方法が浮かんできます。

まさに、指導者にとっては「なるほど」の連続で、心はうきうきというところでしょうか。会員の方の割引8掛け(税別)は、期間は限定されていませんので読んでみたいと思ったときに、御連絡ください。出版社に直接頼まれても割引になりませんので、ご承知ください。

また、22日と23日は、札幌で19回目のUHPCのクリニックを開催し、楽しく練習ができ、みんな見て分かるほどのレベルアップをしてくれました。しかし、残念なことに中学生が一人ハードルで転倒し、腕を骨折してしまいました。軽症で早く復帰してくれることを祈りたいと思います。指導者として何かの配慮が足りなかったのではと反省しております。次回からはその点も気に留めて適切な指導ができるように努力したいと思います。

さて、今回のニュースレターは、確か一昨年の暮れのニュースレターで書いたと思いたことに関することです。それは自分の思いをストレートに書き出した「思うがままに綴る」というノートのことです。スタートは2006年11月9日になっており、現在も続いております。その時々に思いついたことを忘れないためのメモ書きでもあります。

高校のとき、私はある先生から人間は振動を足元から受けると、頭の働きがよくなると聞いたことをいまだに覚えています。確かに、電車に乗っていて、立っていると、よくいろんなこと、アイデアが思い浮かんできます。最初に出した著書「スポーツ選手のためのウォームアップ・プログラム」は、ほとんど電車の中で書いたものです。

こうして、現在も思い浮かんだことを綴っているのですが、それも全て学校への行き来の電車の中だけにとどめています。座っているとき、立っているとき関係なく、思い浮かぶがままに書いています。今、何かを書こうということではなく、頭の中で何かが浮かんだとき、ふと思ったとき、その言葉をそのまま書いているに過ぎません。

ノートに書き出した文字は、他の人には読めないようです。私には、ハッキリすらすらと文章を読み上げることができるのですが。

実に楽しい時間です。思い浮かんだときは、頭の中で文章が出てくるのが先か、それともペン先が先かというぐらい、ほぼ同時に、文章を書いているのと同じタイミングで文章が続いていくことがあります。しかし、そのような状況は1年のうちに何回か限られた期間に起こるようです。

従って、それまでに書き出したことと重複した内容も多くなります。まさに、何かを書こうと目的を定めず、どれだけ自分の頭の中にいろんな思いがあるのか、それを抽出して残そうとしているだけです。もちろん、間違った考え方や思いもたくさんあります。しかし、そんな思いに悩む必要もありません。

一つのテーマに対して、いま自分はどう考えているのだろうかというところを出したいのです。読んでいる人には、十分理解できるのかどうか分かりません。当然です。人に読んでもらうために書いているのではありません。また、納得させるために書いているのでもありません。

その時々に思い浮かんだこと、考え方、思いを綴っただけです。学生には、常に「いま私はこんなことをしている。自分の頭の中を素直に文章にして出してみることが大切だ。また、講習会や授業を受けて自分が感じ取ったこと、思ったこと、習得できたことを、一つの話し的に書き出すと、後で振りかえると、自分の捉え方、考え方がどうだったかよくわかる。」といっております。

私の学校のような専門学校(平成スポーツトレーナー専門学校)では、こんなことが非常に大事なのです。机の前に立って話をする、コンディショニングルームで実技をする、何れも学生に教えているわけですが、問題は学生が何を学び取ったか確認することにあります。

人は誰でも1時間、1日、1週間経てば、忘れていくことのほうが多いと思います。また勘違いしていることも多い。そういったことをなくすことが、習ったことを身に付ける、本当に習得できることになるのではないでしょうか。

では、どうすればより確実に教えられたこと、習ったことが身に付く、役立つのでしょうか。私は、講義の形態を考える必要があると思っています。その日に教えたこと、教えられたこと、習ったことを確実に記録して残していくことです。そのためには、自分の学習ノートをつくることです。

通常なら、今日習ったことの復習を家に帰ってするわけですが、専門学校に通う学生の多くは、いろんな事情でバイトをする必要がある学生が多くいます。従って、家に帰って復習するということは難しい。そうであれば、授業時間内でやれないだろうか。最後の20分でも30分でもよい。

ノートに今日教えられたこと、習ったこと、分かったこと、感じたことなどを口語体でいいから書く。体裁は気にしない。自分で読んでわかるようにし、自分のための「丸秘ノート」にする。そうすれば、毎日習ったことが確実にわかるし、残すことができる。見直せば、自分が勘違いしていたことに気が付いたり、ポイントを間違っていたことに気が付ける。卒業したときに役立つ「丸秘ノート」ができるわけです。

習いっぱなし、教えっぱなしではいけません。また、教える側にとっても、そのノートのまとめ方というか、内容を評価してやればいい。1回のテストの点数で評価するよりいいと思います。そのノートを見れば、教える側も何を教えたのか、何を教えていなかったのか、間違って教えていたことにも気づくことができます。

両者にとって役立つはずです。教える側にとって、自分はこのように説明したと思っていても、間違ってしゃべっていたりする事があります。むしろ、100%正しい、正確に話をしていることはまれかもしれません。気づかないことは多いのです。

記憶ほどあいまいで怪しいものはありません。確かなところも、もちろんありますが、昔の話を友人としていると、同じ場面を思い出していても、かなり互いに記憶の差があります。そのとき、その時代で感じたことが、何十年立った今、そのとき感じたことがそのまま残っていて、写真そのものであると思っていた事があります。

小学生のころ、生徒数は3000人もいた。それで運動場も広かった。そんな思いが今まであったのですが、それが成人してからその学校の横を電車で通り、その運動場が見えました。すると、当時記憶していた広さとは程遠いほど運動場は狭かった。小学校の机や椅子もそうです。

当時は大きかったと思っても、今の体格ではもちろん小さい机や椅子で授業を受けていたのです。あまり自分の記憶に頼ることは怖い気がします。一時のイメージがそのまま残る。時代が変わればそのイメージもそれにつれて変わっていけば問題はないのかもしれませんが、自分では明確・確かだと思っている記憶は、自分自身でも疑いを持って再確認する・確認していくほうがよいでしょう。

今は、映像に残すことができるので、見返すことがいくらでもできます。何事に対しても思い込みを避けるために、確認・再確認の癖をつけたいものです。それとともに、「そうだったかなあ」「えっ!」と思えば確認することです。「思いを綴る」ノートを日々持ち歩いてみてはどうでしょうか。

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