上手なからだの使い方|ニュースレターNO.242

わたしは「直せば治る」という考えをもって身体調整を行っていますが、その基本になることが「自然体」であり、正しいというか適切な立位姿勢にあります。正しいまた適切な立位姿勢の定義は難しいものです。本に書いてある「立位姿勢とは・・・」というようにはならないとこれまでの経験で感じています。

したがって、自分の中で正しい・適切な立位姿勢の定義というものをつくらなければいけないと思っています。その立位姿勢にどのように戻すのかというところに手技やテクニックがあると考えています。本に書かれているような正しい・適切な立位姿勢はこうでなければいけないというように考えてしまうと、不都合なことも起こってくることもあるので、いろんな状況を考えながら定義していく必要があると思います。

ちなみに、私の考える自然体は体のどこにも緊張が見られない楽な立ち方ということになります。もちろん左右対称に近い形でということになります。

そこで今回は、渡會公治著:上手なからだの使い方(北溟社2006)という本を紹介したいと思います。正しい・適切な立位姿勢を考える上で、また指導する上で参考になると思いますので、一部を紹介します。

『私たちは脊椎動物の一員です。立派な脊椎を持っていても、上手にからだ、背骨を使いこなしているひとは尐数でしょう。

3次元空間に存在するものの動きを表すときはまず、動くものの位置を記録します。基準となる座標軸x軸、y軸、z軸で作られた立体のなかでの位置を測定することをします。立体の動きはxy平面、yz平面、xz平面の平面に分解して記録します。この面は人の身体では前額面、矢状面、水平面といいます。

前額面は前額つまりおでこと平行な面です。鏡と向かい合うときには鏡と平行な面です。正中面ともいいます。これに垂直な面は二つあります。水平面と矢状面です。水平面は分かると思いますが、上から頭から身体を見ることになります。矢状面は横から見る面です。矢が正面から飛んでくるというイメージで矢状面というのでしょう。

この3つの面をイメージして垂直に並んでいる脊椎を動かしてみましょう。まず、矢状面に沿って動かす。というと難しそうですが、何のことはない前後にお辞儀して地面を見ることと天井をさらに後ろを見る動きです。

次に前額面に動かす。つまり左右に曲げます。さらに水平面に動かしてみましょう。回転です。脊椎の中心を軸にして右回り左回りの動きです。頭を動かすと背骨はついてきます。

多くの人は左右の差も感じないと思いますが、なかにはやりやすい方向がある人もいるかと思います。背骨は正面から見るまっすぐですが、横から見ると弯曲が3つあります。くびの頚椎前弯、せなかの胸椎後弯、こしの腰椎前弯です。骨盤の仙椎、仙骨は一つの骨に癒合していますが、後弯うしろに凸の形をしています。

前後方向に曲げるときは左右差は生まれませんが、正常な脊椎でも弯曲があるので左右や回旋では難しい動きが必要になります。身近にあるもので弯曲をつくってこれを左右に曲げてみてください。たとえばひもをたばねて太くして上下に両手で持ちます。下を固定して上を動かします。

まっすぐなまま3つの面で動かしてもどの方向でも動きます。弯曲を一つでも作って曲げてみると回転や横に曲げる動きは難しいことが分かると思います。それから、自分の頭をもう一度前後左右回転と動かしてください。本当に左右差はないか確認してみましょう。

さて、3次元脊椎体操です。

前後屈曲、左右屈山、右回り左回りこの2種類3方向の動きの組み合わせは8種類あります。動かす順を考えると6通りありますから、合計で48種類になります。

まず両手で小さな本かペットボトルか何かを軽く持ちます。胸の前の正面にまっすぐに背筋を伸ばして持ちます。基準となるポジションです。このポジションから3種類の動きを連続して行います。たとえば、前に曲げ、左に曲げ、右に回します。

持っている本やペットボトルだけでなく背骨を一緒に動かしましょう。捻れている背骨の感覚を味わったら、元に戻ります。一気に基準ポジションに戻します。次に、右に曲げ、右に回し、後に曲げるそして一気に基準ポジションに戻す。次は後に曲げて左に曲げて右に回す。一気に戻す。48通りすべてを行う必要はありませんが、4、5種類考えながらやってみましょう。背骨がすっきりすると思います。

なぜ本とかペットボトルとかを持つ必要があるのかといいますと、分かりやすいからです。慣れるまではあったほうがやりやすいと思います。慣れると無くてもできますから、キーボードを叩きながら背骨を動かすこともすすめています。しかし、時聞を作って両手を前に何かを持ってやることをやってみましょう。

原点に返るというか、やってみれば感じられると思いますが、両手が参加すると何か違いがあります。たぶん、背申の筋肉が協調するからだと思います。裸の背中に見ることができる背筋といわれる筋肉は背骨や骨盤からでて肩甲骨や上腕骨に行く上肢の筋肉です。手を動かせば働く役割を持っています。

両手で何かを持てばその動きに参加してきます。手と脊椎の協調運動では面白くない。3D体操と清水先生は名付けたのですが、もう一つ良い名前がないかなと模索しています。』

『美しく、しっかりと立てれば、スキーは簡単にできるはずであるというのが私の意見です。立つことは誰でもできることのように思えますが、ロボットを見ても2本足で立つのは簡単なことではありません。

考えてみても、すぐに分かるように生まれつき立てる人はいません、赤ちゃんの時代にほめられ、おだてられ、学習して立てるようになり、歩くようになっていくわけです。しかし、その後さまざまな活動を獲得していくのですが、さらによりよい立ち方を学ぶ機会は尐ないというよりないと思います。

この授業では立つために関係する知識(解剖学、生理学、運動学、バイオメヵニクスなど)を学び、自分の身体を動かして知識を身体で理解して、美しく立つことをめざしています。最後に応用としてスキーを取り上げるというのは、スキーはゲレンデで立てればできるものなのです。

急な斜面でもバランスをとって立っていれば滑ることができます。止まる技術が必要になりますが、斜面に立てれば止まることもできます。股関節の動きを学び、左右に体の向きを変えたとき、常に谷側の足に体重を移すことを学べば方向転換も止まることもできます。スキーのターンは歩くよりもゆっくりなリズムの体重移動があるだけですから立って歩ければできるスポーツです。』

『スクワットという言葉の文字どおりの意味はしゃがむことで、しゃがんでは立つことを繰り返すもっともシンプルな運動です。シンプルなものほど奥が深いといいますが、しやがんで立つだけのスクワットにもいろいろなスクワットがあります。スクワットで腰を痛めたとか膝を痛くしたという患者さんをみることがあります。これはスクワットのやり方が悪かっただけで、正しいスクワットを指導して治しています。

私のすすめるスクワットはオーソドックスなトレーニングとしてのスクワットですが、なかなか指導しても伝わらないので、工夫をしてみました。壁を使った「かべ体操」と名づけたものです。図⑬は外来の山本ナースが作ってくれたものです。普通の部屋の隅は直角になっていますが、この部屋の角に立って両足を肩幅よりちょっと広めに広げます。左右の壁に両足を平行につけて置きます。

ゆっくりとしゃがみ、ゆっくりと立つことを繰り返すだけですが、このとき尻と膝と足が壁から離れないようにすることが大切なポイントです。

人の足はかかとに比べて前のほうが大きいので、かかとは壁から尐し離します。かかとの中央と二番目の指の付け根を結ぶ線が足の長軸といわれる中心線です。この線上で足首の関節が屈伸しますと足の裏にはアーチがしっかりとでき足の全体に体重が乗ります。つまり尻と膝と足が壁から離れなければ足関節と膝関節と股関節の屈曲進展が同じ方向に行われるということになります。

記憶とは何か|ニュースレターNO.241

4月のニュースレターで紹介しました福岡伸一著:動的平衡(木楽舎2009)は読まれましたでしょうか。読まれた方には重複しますが、面白く興味深いところを紹介したいと思います。それは「記憶」について書かれたところです。

脳学者からみた「記憶」の話と、分子生物学者からみた「記憶」の違いが面白いです。難しい話を平易に解説しているところを見習わなければいけませんね。他にも面白いテーマについて書かれていますので、まだ読まれていない方は是非お読みください。

『生命現象が絶え間ない分子の交換の上に成り立っていること、つまり動的な分子の平衡状態の上に生物が存在しうることは、この記憶物質をめぐる論争が行われていた当時に遡ること二〇年ほど前、すでにルドルフ・シエーンハイマーという科学者によって明らかにされていた。

シェーンハイマーは食べ物に含まれる分子が瞬く間に身体の構成成分となり、また次の瞬潤にはそれは身体の外へ抜け出していくことを見出し、そのような分子の流れこそが生きていることだと明らかにしていたのである。すこし冷静に考えれば、常に代謝回転し続ける物質を記憶媒体にすることなどできるはずもない。

だから、音楽やデータを記録する媒体として、我々は常により安定した物質を求め続けてきた。レコード、磁気テープ、CD、MD、HD……。

ほんの数日で分解されてしまう生体分子を素子として、その上にメモリーを書き込むことなど原理的に不可能だ。記憶物質は見つかっていないのではなく、存在しようがないのである。ヒトの身体を構成している分予は次々と代謝され、新しい分子と入れ替わっている。

それは脳細胞といえども例外ではない。脳細胞は一度完成すると増殖したり再生することはほとんどないが、それは一度建設された建造物がずっとそこに立ち続けているようなものではない。脳細胞を構成している内部の分子群は高速度で変転している。その建造物はいたる部分でリフォームが繰り返され、建設当時に使われていた建材など何一つ残ってはいないのである。

つまり、ビデオテープの存在を担保するような分子レベルの物質的基盤は、脳のどこを探してもない。あるのは絶え間なく動いている状態の、ある一瞬を見れば全体として緩い秩序をもつ分子の「淀み」である。そこには因果関係があるのではなく、平衡状態があるにすぎない。

私たちが「記憶の想起」と呼んでいるものも、実は一時点での平衡状態がもたらす効果でしかない。

大半の方がそうだと思うが、私たちは五年前や一〇年前の一年の過ぎ方がどうだったかなどと思い出すことすらできない。過去は恐ろしいほどにボンヤリしたものでしかないのである。

仮に「五年前にはこんなことがあり、一〇年前にはあんなことがあったなあ」と思い出すことはできても、それは日記なり写真なり記念品があるから、それを手がかりに過去の願番をかろうじて跡づけられるのであって、感覚としては、一〇年前のことが五年前のことよりも、より遠い昔のことだという実感を持つことはできない。逆に五年前のことが一〇年前よりも新鮮な記憶としてあるという実感も実はない。

人は年齢を重ねるごとに時間経過の順に物事を記憶しているのではなく、実は過去をおぼろげながらにしか想起できはしないのだ。

ここに記憶というものの正体がある。人間の記憶とは、脳のどこかにビデオテープのようなものが古い順に並んでいるのではなく、「想起した瞬間に作り出されている何ものか」なのである。つまり過去とは現在のことであり、懐かしいものがあるとすれば、それは過去が懐かしいのではなく、今、懐かしいという状態にあるにすぎない。

ビビッドなものがあるとすれば、それは過去がビビッドなのではなく、たった今、ビビッドな感覚の中にいるということである。私たちが鮮烈に覚えている若い頃の記憶とは、何度も想起したことがある記憶のことである。あなたが何度もそれを思い出し、その都度いとおしみ、同時に改変してきた何かのことなのである。

ではいったい記憶とは何だろうか。細胞の中身は、絶え間のない流転にさらされているわけだから、そこに記憶を物質的に保持しておくことは不可能である。それはこれまで見てきたとおりだ。ならば記憶はどこにあるのか。それはおそらく細胞の外側にある、正確にいえば、細胞と細胞とのあいだに。神経の細胞(ニューロン)はシナプスという連繋を作って互いに結合している。結合して神経回路を作っている。

神経回路は、経験、条件づけ、学習、その他さまざまな刺激と応答の結果として形成される。回路のどこかに刺激が入ってくると、その回路に電気的・化学的な信号が伝わる。信号が繰り返し、回路を流れると、回路はその都度強化される。

神経回路は、いわばクリスマスに飾りつけされたイルミネーションのようなものだ。電気が通ると順番に明かりがともり、それはある星座を形作る。オリオン座、いて座、こぐま座。

あるとき、回路のどこかに刺激が入力される。それは懐かしい匂いかもしれない。あるいはメロディかもしれない。小さなガラスの破片のようなものかもしれない。刺激はその回路を活動電位の波となって伝わり、順番に神経細胞に明かりをともす。

ずっと忘れていたにもかかわらず、回路の形はかつて作られた時と同じ尾座となってほの暗い脳内に青白い光をほんの一瞬、発する。

たとえ、個々の神経細胞の中身のタンパク質分子が、合成と分解を受けてすっかり入れ替っても、細胞と細胞とが形作る回路の形は保持される。いや、その形すら長い年月のうちには少しずつ変容するかもしれない。しかし、おおよその星座のかたちはそのまま残る。』

『さて、記憶分子は確かに実在していない。しかし、分子の代謝回転と記憶のあいだには奇妙な関係があるように思える。それは時間経過の感覚のことである。一日が瞬く間に終わる。あるいは一年があっという問に過ぎる。子供の頃はもっともっと一年が長く、充実したものだったのに。

なぜ大人になると時間が早く過ぎるようになるのか。誰もが感じるこの疑問は、ずっと古くからあるはずなのに、なかなか納得できる説明が見当たらない。この難問について生物学的に考察してみよう。

三歳の子供にとって、一年はこれまで生きてきた全人生の三分の一であるのに対し、三〇歳の大人にとっては三〇分の一だから。こんな言い方がある。

よく聞く説明だが、はっきり言って、これは答えになっていない。確かに自分の年齢を分母にして一年を考えると、歳をとるにつれて一年の重みは相対的に小さくなる。しかし、だからといって一年という時間が短く感じられる理由にはならない。

ここで重要なポイントは、私たちが時間の経過を「感じる」、そのメカニズムである。物理的な時間としての一年は、三歳のときも三〇歳のときも同じ長さである。にもかかわらず、私たちは三〇歳の時の一年のほうをずっと短いと感じる。そもそも私たちは時間の経過をどのように把握するのだろうか。

自分がこれまで生きてきた時間をモノサシにして(あるいは分母にして)時間を計っているのだろうか。もしそうなら先の説明も一理あることになる。

でも、これは違う。私たちは自分の生きてきた時間、つまり年齢を、実感として把握してはいない。大多数の人は自分が「まだまだ若い」と思っているはずだし、一〇年前の出来事と二〇年前の出来事の「古さ」を区別することもできない。もし記憶を喪失して、ある朝、目覚めたとしよう。

あなたは自分の年齢を「実感」できるだろうか。自分が何歳なのかは、年号とか日付とか手帳といった外部の記憶をもとに初めて認識できることであって、時間に対する内発的な感覚は極めてあやふやなものでしかない。したがって、これが分母となって時間感覚が発生しているとは考えがたい。

一年があっという間に過ぎる。時間経過の謎は、実は私たちの内部にある。この時間感覚のあいまいさと関連している、というのが私の仮説である。それはこういうことである。』

歯の噛み合わせ|ニュースレターNO.240

からだのバランスが崩れ、いろんなところに不快感や痛みを感じるとき、「直せば治る」という考えのもとに身体調整をするのですが、からだのバランスがうまく戻らないことも多くあります。それでこれまで頸部の緊張をとることで、脊柱全体のバランスも取れやすくなると考えていたのですが、そこにもう一つ大事なポイントを見つけることができました。

それは、歯の噛み合わせです。歯科医の世界では普通のことのようですが、歯の噛み合わせの悪さがからだ全体に悪い影響を及ぼすということです。何冊か噛み合わせに関する本を読みましたが、当然ですがすべて同じような内容でした。歯の噛み合わせを良くすれば自ずと頸部の緊張も取れやすくなり、脊柱も適切なラインを維持することになるようです。

何冊か読んだ本の中で、正井良夫著:噛み合わせの驚異(講談社2000)が一番参考になったように思います。その中でポイントになったところを抜粋して紹介したいと思いますが、興味のある方は是非著書をお読みください。

『人間のからだの重心は、重い頭部と、体幹部(胴体部)の二ヵ所にある。頭部では視床下部近くのトルコ鞍とよばれるところにあり、重心の支点は環椎(第一頸椎)にある。体幹部では第二仙骨のやや前方、脊柱が腰部で前轡するところにある。この状態で立っているときが、人間のもっとも安定した、リラックスした状態であるといわれている。

この状態で、筋肉は必要最低限の働きで重力とのバランスを保ち、二足での直立の位置から、さまざまな移動においてもからだのバランスを保つことができる。内臓の器官も、循環器の機能も、順調に働くことのできる姿勢であるとされている。』

『まず、人間がまっすぐに立っている状態では、上顎の噛み合わせの面が水平であることが基本である。このとき、下顎は適切な位置に筋肉でぶら下がって、頭部と体幹部の重心とのバランスをとっている。本来、自然な噛み合わせの位置は、上下の顎のこのような構造によって、自然に定まるようになっている、と考えられる。

下顎の位置が、頭の位置、頭の重心を決定することは、次のような実験をしてみればすぐに確かめられる。まっすぐに立った状態で口を閉じ、下顎を右か左に限界までずらしてみる。すると、下顎の動きとは反対の方向に頭が傾くことがわかる。同様にして、下顎を前方に出すと頭は後方に傾き、反対に下顎を後ろに引くと頭は前方へと傾いていく。

下顎の動きは、頭の位置をいともかんたんに左右する、ということだ。この事実に照らし合わせると、噛み合わせの位置が数ミリメートルでもずれると、重力のもとで直立歩行する人間のからだの三次元的なバランスが、たちまちくずれてしまうということがよくわかる。』

『上顎の噛み合わせの位置が、本来のバランスのとれた自然な位置より前方にずれると、下顎の噛み合わせの位置も前方にずれるため、頸椎より上の頭部の重心は、前方に移動する。すると、からだはバランスをとるために、頸椎の前方弯曲を強くして頭を直立させようとして、ますます前方弯曲が強くなる。』

『噛み合わせの位置が後方にずれると、頭の重心も後方に移動する。前方のずれの場合と同じように、頭を直立させてからだのバランスをとろうとするため、頸椎の前方弯曲が強くなる。重心が後方に移動するために、姿勢は反り返り、二足直立の姿勢がきわめて不安定になる。

つねに重力とのバランス調整をおこなっていなくてはならないため、筋肉に過剰な緊張が強いられて、身心の疲労が増し、ストレスがたまってくる。そうした疲労やストレスが、身心のさまざまな症状や病気の発生要因となる。』

『噛み合わせが左にずれると、頭の重心も左の方へ移動する。すると、頭を右に傾けて、重力とのバランスをとろうとするため、頸椎は左側弯曲を強め、左の鎖骨は上方に引っ張られる。そのため、左肩が上がり前方にねじれて、右肩は下がり後方にねじれ、手足は右が長くみえることがある。骨盤は右に上がり後方にねじれ、それにともなって背骨もねじれてくる。』

『噛み合わせが右にずれると、頭の重心も右のほうへ移動する。重力とのバランスをとろうとして頭を左に傾けるために、頸椎の右側弯曲を強め、右の鎖骨は上方に引っ張られる。すると、右肩が上がり前方にねじれて、左肩が下がり後方にねじれる。手足は左が長くみえて、骨盤は左に上がり後方にねじれ、それにともなって背骨もねじれてくる。骨盤は右に上がる場合もある。』

『この環椎歯突起関節が、下顎に異常が起こった場合、左右に動いてしまうことだ。そのため、環椎と軸椎とのあいだに圧迫が生じ、頭は、左右に傾いたり、ねじれたりする。下顎のずれは、同時に頭の位置を適正な位置からずらしてしまう。ところが、頭の位置は、頸椎と筋肉群によって支えられているため、頭の位置のずれは、頸椎を圧迫し、頭の骨をサポートしている多くの筋肉群に異常な緊張をもたらすことになる。

頭部の重量は体重70キログラムの人で約4.5キログラム。それだけの重量を細い頸椎で支えているわけであるから、頭部と頸椎の力学的なバランスがくずれれば、さまざまな症状が出てくるのは当然である。』

『噛み合わせ症候群の患者に多くみられる頸椎の症状は、およそ次のような経過をたどる。多くの初発症状は、まず首の痛みからはじまり、ついで、上肢に放散するような痛みとしびれが生じる。これらは、とくに、頸椎を前後に動かす前後屈折運動で痛みが強くなったり、弱くなったりする。

また、頭頂部で両手を組んで、下に垂直に圧迫すると、痛みが強くなることが多い。さらに進行すると、手指の感覚が鈍くなり、箸が使いにくくなったり、ポケットのなかのものが感覚で識別できなくなったりするようになることもある。』

『噛み合わせにゆがみがあるということは、噛み合わせが前後左右にずれているということである。左右どちらかにずれると、からだのバランスをとるために筋肉が無意識に働いて反対側に体重が移動し、姿勢がゆがむことになる。ポイントは、人間のからだが重力とのバランスをはかるために、自然とゆがんだ姿勢をとってしまうようになるということだ。』

『人間のからだの各部分には、それぞれの重心がある。その重心を結ぶ線が、総合重力線である。この総合重力線をくるわせると、運動能力が低下し、寝違いなどが起こりやすく、からだからだが重く感じられるようになったりする。

側面からこの総合重力線をみると、頸椎三番から七番を通り、胸椎の一二番から、腰椎の四番を経て、足の躁から7センチメートル前方を通っている。この総合重力線の通過地点に、いかにおのおのの重心を置くか、ということが身心のバランスにおいていちばん重要なことである。

立ったときにいちばん安定する姿勢は、つねに動かすことのできる、関節と関節に挟まれた部分の重心が垂直線上にならぶことにある。からだを横から見たときに、総合重力線上にそれぞれの関節軸が並んでいないと、からだを動かすときによぶんな力が必要となり、エネルギーの消耗が多くなって、からだが疲れやすくなり、精神的にも不安定になる。ねこ背や前傾、後傾の姿勢は、からだとこころに無理を生じさせるということだ。

したがって、立っているときに無理なく安定した姿勢が、正しい姿勢であり、同時に美しい姿勢である、ということができる。』

『バランスのとれたよい姿勢を保つためには、皮膚、筋肉からのインパルス(刺激)が、運動神経にきちんと伝えられることが重要だ。このインパルスは、運動神経に対して、あるときは興奮的に、あるときは促進的に、またあるときは調節的に働きかけ、それによって私たちは、あまり意識しなくても安定した姿勢を保つことができる。

もしも、病気やケガでこの運動神経が破壊されると、その神経支配を受けている筋肉は、まったく動かなくなってしまう。

反射的な筋肉の緊張は、筋肉のなかに埋もれている「筋紡錘」という感覚器によって発現される。この感覚器は、感覚神経の末端に複雑にからみついて、筋肉が引き伸ばされたり、収縮したりすると、それを感知してインパルスを脳に送り込み、脳はその情報に基づいて姿勢をコントロールし、身心のバランスをとっているのである。』

「分かっている」「できる」「教えられる」|ニュースレターNO.239

自分では「分かっている」と思ったり、「できる」と思ったり、「教えられる」と思っていることは、だれにもあるはずです。しかし、人間の脳は錯覚して先入観をもったり、イメージを変えながら記憶を残していくということを認識しなければいけません。このことは、自分自身を振り返ってみれば気付くことも多いはずです。

あまりにも自分がもっている技術・テクニックや考え方が絶対だと思いこんでしまうと、停滞したり間違った道に進んでしまったりします。そのことが結果として、こんなはずではなかったと思うことになったりします。いろいろと勉強を積んだり実践を重ねたりしても、そのようなことが起こります。同じパータンの繰り返しが一番危険なように思います。

日ごろから、「自分はこのように考えているが、これでOKだろうか」と振りかえって繰り返し確認していく必要があります。特にトレーニングの分野では、新しい考え方が次から次へと出てくるので、何がまともなことか、何がおかしいか考えるだけで本質が見えてきたりします。

特に、「何とか理論」というものは、一番怪しいし、なぜそのような理論という名称を付ける必要があるのか考えてみると、結局は何かの応用というより名称を変えただけのことが多いように思います。本や雑誌についても同様で、よく専門家と称してエクササイズやストレッチングを写真で紹介しているものがあります。

そのようなものは特に何がおかしいか勉強するのに最適なものです。これはおかしくないかと疑って見ていくとおかしなところがたくさん見えてきます。説明の文書と照らし合わせると、こじつけが分かったりするものです。おかしなところがどれだけ目につくか、どれだけ見つけ出せるかが自分のレベルを確認する手段にもなるでしょう。

たいていは、人生経験が少なく、実戦経験も少ないのに、本やビデオを見たり、学校で学んだから自分はできると思ったり、わかっていると思ったりするものです。特に学校の授業で学ぶことは、ほとんど教科書に載った基本的なことばかりで、まず実践ではほとんど使えません。教科書を教えるのではなく、「コトの本質を教える授業」でなければまず実践で使えるようにはならないでしょう。

実践を重ねながら教科書を振り返るのであれば、知識としても身に付きますが、上辺の知識ばかり先行すると知識と実践がかみ合わなくなってしまいます。

スポーツトレーナーやパーソナルトレーナーとして何より大切なことは、まず“体はどのように動くようにできているのか”ということの理解です。どのように動くことができるようになっているのかが分かれば、どのように動かさせればよいのか、その指導能力が必要になります。これは指導技術になります。

教えることは、相手にまずどのように動かすのか理解させなければいけません。この際、言葉がけが大切です。どのような言葉を使うのか、当然相手の頭の中でその言葉を理解させ、理解したことを裏付ける動作が見られなければいけません。しかし、ほとんどこちら側からの一方的な情報伝達になってしまっていることが多いようです。

当然、結果は望んだものになるはずがありません。選手にせよ、一般人にせよ、やる側の理解ができていなければただやっているにすぎないので、それで結果を求めることはあり得ません。

それで、上手くやれないということはどういうことでしょうか。それは指導が悪いということです。知識があっても、適切な指導ができなければ教えたことにはなりません。

ただやらせただけです。常に、なぜうまくできないかということを考えなければいけません。上手くできないケースは、ほとんどの場合、動作の手順が間違っているのですが、それに気がつかないのです。またそれに気がついても、どのように修正・指導すればよいのかが分からないのです。

例えば、ウエイトトレーニングなどでよく見られますが、スクワットでどのようにしゃがんでどのように立ち上がるのか、ほとんど理解できていません。本などには姿勢のことなどは書かれていますが、それもいろんな書き方がされているのが現状です。勉強する人は、本の写真を見たり、ビデオを見たりしているだけで、自分で分かっていると思っているところがほとんどではないでしょうか。

本に書かれていることは、一つのケースにすぎません。スクワットでいえば、しゃがんで立ち上がるエクササイズですから、目的に応じで、どのようにしゃがむのか、そしてどのように立ち上がるのかという手段を考えなければいけません。だから、「スクワットはこうする」というようなことにはなりません。そのことがどれだけ理解されているでしょうか。目的があって方法があるのです。

ここに、「分かっている」「教えられる」と思っている錯覚があるのです。アスリートに対して、また一般の方に対していろんなエクササイズを教える際に、このことが大きな問題になります。ほとんどの方が本やDVD、学校の授業でしかほんの一部の表面上の知識と実践しか経験していないのですから、仕方ないことかもしれません。

本質を学んで理解しなければとてもプロとしては成り立ちません。まず「分かっている」「できる」「教えられる」と思っていないか、自覚することです。自分自身がそうですが、勉強を続けていくと新しい情報にであいます。すると必ずと言っていいほど新しいことに気がつくことは当然ですが、「そうだったのか」というように勘違いしていたことにも気づいたり、こんなことは知らなかったということにもであいます。

そこで見直すことの多くは、体の構造と機能のところです。解剖学が本当に分かっていないということです。体の機能構造を本当にわかるには、何年もかかります。それを実感しているのが今日この頃です。日々勉強を重ねないと身体調整にしてもトレーニングにしても上手く指導することができません。逆に、身体構造と機能が明確に分かっていれば、トレーニングにも身体調整にも大いに役立ちますし、新しいテクニックも発見することができます。

「分かっている」「できる」「教えられる」と思っている一番のものは、「ストレッチ・ストレッチング」でしょう。しかし、一番わかっていないし、指導できないものも「ストレッチ・ストレッチング」といえます。

「ストレッチ・ストレッチング」を教えるには技術が必要です。特に、パートナーストレッチングは、どこに手を当てるのか、どの程度の力加減でどの方向にどのように筋肉を伸ばしてあげるのか、というところが技術になります。ただ伸ばしているだけのことが多いようです。伸ばすにも目的があり、その目的のために伸ばし方が何通りもあるということです。

そんなこと、すなわちストレッチ・ストレッチングの本質がわかっていればその結果も目を見張るものが期待できるはずです。ただやっているだけではどうしようもありません。

常に、これでよいのかという疑問を持って物事に接していくことが大切だと考えています。勉強会を通して、「分かっている」「できる」「教えられる」と思っていたことに気がついていただき、コトの本質を理解してもらえるようになり、学んだことを現場で応用実践できるようになられていることは嬉しいことです。

コトの本質を教えていくことが本物のトレーニングコーチ、トレーナー、施術家、パーソナルトレーナーなどを一人でも多く育てることになり、そのことが私の務めだと思い、これからも日々努力を重ねたいと思います。

動的平衡|ニュースレターNO.238

健康に生きるということは、たんぱく質の合成と分解との動的な平衡状態が生きているということであり、それを動的平衡といい、たんぱく質の合成と分解との平衡状態を保つことによってのみ、生命は環境に適応するよう自分自身の状態を調整することができるといわれています。

これは分子生物学者の福岡伸一著:動的平衡(木楽舎2009)に書かれていることです。著書の中では、生命活動についていろんなテーマを取り上げ、わかりやすく解説されています。今回紹介するのは、たんぱく質についてとコラーゲンの話の一部です。コラーゲン摂取について本当のことがわかります。是非一度著書を読んでいただければ興味深いところがたくさんあると思います。

『消化管は、私たちの皮膚が内側に入り込んだ中空の構造体であり、ちょうどチクワの穴のようなものなのである。消化管壁は一種のバリアであり、消化管壁を構成する細胞は互いに密着して、まるごとのタンパク質がそのまま通過することを許さない。つまり他者の情報を保持したタンパク質は身体の「外側」に留め置かれる。
そこでタンパク質はアミノ酸にまで分解され、アミノ酸だけが特別な輸送機構によって消化管壁を通過し、初めて「体内」に入る。

体内に入ったアミノ酸は血流に乗って全身の細胞に運ばれる。そして細胞内に取り込まれて新たなタンパク質に再合成され、新たな情報=意味をつむぎだす。つまり生命活動とは、アミノ酸というアルファベットによる不断のアナグラム=並べ替えであるといってもよい。

新たなタンパク質の合成がある一方で、細胞は自分自身のタンパク質を常に分解して捨て去っている。なぜ合成と分解を同時に行っているのか?この問いはある意味で愚問である。なぜなら、合成と分解との動的な平衡状態が「生きている」ということであり、生命とはそのバランスの上に成り立つ「効果」であるからだ。

合成と分解との平衡状態を保つことによってのみ、生命は環境に適応するよう自分自身の状態を調節することができる。これはまさに「生きている」ということと同義語である。

サスティナブル(持続可能性)とは、常に動的な状態のことである。一見、堅牢強固にみえる巨石文化は長い風雨に晒されてやがて廃塊と化すが、リナベーション(改築改修)を繰り返しうる柔軟な建築物は永続的な都市を造る。

それゆえにこそ、私たちは毎日、食べ続けなければならない。食べ物とはエネルギー源というよりはむしろ情報源なのである。とはいえ、先に述べたように「I LOVE YOU」という愛の言葉は、そのまま受け入れられることは決してない。

さらにアナグラム(並び替え)という比喩も実は正確ではない。分解されたアミノ酸は、そのまま順列だけが組み変わるのではなく、散り散りばらばらになって、他から来たアミノ酸と離合集散を繰り返しながら、まったく別のタンパク質を構成するからである。

だから、身体の中の特定のタンパク質を補うために、外部の特定のタンパク質を摂取するというのはまったく無意味な行為なのである。』

『「体調や肌の調子が悪いのには何かが不足しているからだ。だからそれを補給しなければならない」私たちはしばしばこのような欠乏の強迫観念にとらわれがちである。

最近、よく宣伝されているものにコラーゲンがある。コラーゲンを添加された食品の中には、ご丁寧にも「吸収しやすいように」わざわざ小さく細切れにされた「低分子化」コラーゲンというものまである。

コラーゲンは、細胞と細胞の間隙を満たすクッションの役割を果たす重要なタンパク質である。肌の張りはコラーゲンが支えているといってもよい。

ならば、コラーゲンを食べ物として外部からたくさん摂取すれば、衰えがちな肌の張りを取り戻すことができるだろうか。答えは端的に否である。

食品として摂取されたコラーゲンは消化管内で消化酵素の働きにより、ばらばらのアミノ酸に消化され吸収される。コラーゲンはあまり効率よく消化されないタンパク質である。消化できなかった部分は排泄されてしまう。

一方、吸収されたアミノ酸は血液に乗って全身に散らばっていく。そこで新しいタンパク質の合成材料になる。しかし、コラーゲン由来のアミノ酸は、必ずしも体内のコラーゲンの原料とはならない。むしろほとんどコラーゲンにはならないと言ってよい。

なぜなら、コラーゲンを構成するアミノ酸はグリシン、プロリン、アラニンといった、どこにでもある、ありきたりなアミノ酸であり、あらゆる食品タンパク質から補給される。また、他のアミノ酸を作り替えることによって体内でも合成できる、つまり非.必須アミノ酸である。

もし、皮膚がコラーゲンを作り出したいときは、皮膚の細胞が血液中のアミノ酸を取り込んで必要量を合成するだけ。コラーゲン、あるいはそれを低分子化したものをいくら摂っても、それは体内のコラーゲンを補給することにはなりえないのである。

食べ物として摂取したタンパク質が、身体のどこかに届けられ、そこで不足するタンパク質を補う、という考え方はあまりに素人的な生命観である。

それは生物をミクロな部品からなるプラモデルのように捉える、ある意味でナイーブすぎる機械論でもある。生命はそのような単純な機械論をはるかに超えた、いわば動的な効果として存在しているのである。

これと同じ構造の「健康幻想」は、実は至るところにある。タンパク質に限らず、食べ物が保持していた情報は、消化管内でいったん完膚なきまでに解体されてしまう。

関節が痛いからといって、軟骨の構成材であるコンドロイチン硫酸やビアウロン酸を摂っても、口から入ったものがそのままダイレクトに身体の一部に取って代わることはありえない。構成単位にまで分解されるか、ヘタをすれば消化されることもなく排泄されてしまうのである。

ついでに言うと、巷間には「コラーゲン配合」の化粧品まで氾濫しているが、コラーゲンが皮膚から吸収されることはありえない。分子生物学者の私としては「コラーゲン配合」と言われても「だから、どうしたの?」としか応えようがない。

もし、コラーゲン配合の化粧品で肌がツルツルになるなら、それはコラーゲンの働きによるものではなく、単に肌の雛をピアウロン酸や尿素、グリセリンなどの保湿剤(ヌルヌル成分)で埋めたということである。

私たちがこのような健康幻想に取り葱かれる原因は何だろうか。そこには「身体の調子が悪いのは何か重要な栄養素が不足しているせいだ」という、不足・欠乏に対する強迫観念があるように思える。

そして、その背景には、生命をミクロな部品が組み合わさった機械仕掛けと捉える発想が抜き差しがたく私たちの生命観を支配していることが見て取れる。

健康を、強迫観念から解放し、等身大のライフ・スタイルとして取り戻すためには、私たちの思考を水路づけしてきた生命観と自然観のパラダイム・シフトが必要なのである。

バランスを崩す|ニュースレターNO.237

先般歩いているときに、ふとバランスのことが気になりました。速く歩くときは、バランスを崩したほうが歩きやすいのではないかと思ったのです。ということは、走ることも同様に、いかにバランスを崩すかが問題なのではないかと思いました。それでバランスについて次のような考え方をしてみました。

バランスとは釣り合いが取れている状態のことを言います。辞書によると、均衡、平衡、調和ということになっています。このバランスをスポーツパフォーマンスについて考えてみるといろんな発想が出てきます。

たとえば、走ることを考えてみると、バランスがとれているということは進まない立位の姿勢であるのではないかと考えられます。前後左右に、手足のバランスがとれていれば、重心は一点に留まり、すなわち進まないことを意味することになるではないでしょうか。では前に進むためにはどうすればよいのでしょうか。それはバランスを崩して、それも前方の進む方向にバランスを崩していくことです。そうすれば自然にバランスの崩れた方向に重心が傾いて進むはずです。

したがって、速く進むためにはスムーズに前方へバランスを崩し続けなければいけないと考えられます。そうすると、速く走るためには前方へ直線的にバランスを崩す練習をしなければいけないということになります。すなわち、バランスをとる練習ではなく、バランスを崩す練習をするということです。

そして、バランスを崩した状態で何かをするということや、崩れたバランスを元に戻そうとする必要はないということです。ひたすら進む方向へバランスを崩し続けることが走るということになるのではないでしょうか。実に面白い考え方です。

では、左右の腕振りが同じでバランスの取れた腕振りと左右の腕振りが異なるアンバランスな腕振りはどう考えたらいいでしょうか。まず左右の腕振りが異なるアンバランスな腕振りでは、重心は前方へ進みにくいと想像できます。また前後にバランス良く振る腕振りも、前後にバランスがとれているのでこれも重心が前方に進みにくいと考えられます。やはり前方に意識して腕を振りだしていくことがよいのではないかと考えられます。

このように考えると、スプリントの練習方法も考える必要が出てきます。まず前方に動きながらのドリルが必要だと考えられます。常に前に進むという感覚を持って行えるドリルを考える必要があります。それもバランスを取りながらではなく、バランスを前方に崩しながらであり、走る場合には左右にバランスを崩すことは考えられないので、とにかく前方にバランスを崩すことです。

その進み方はバランスを崩す程度によると考えられるので、重心を高くしておくことが絶対に必要になるのではないでしょうか。重心が高いほど、崩れた際に重心の移動距離が長くなると考えられます。こんな考え方も面白いですね。

競技種目によって、バランスを全く崩さないパフォーマンスもあれば、バランスを崩して最後には、バランスをとって静止する競技もあります。器械体操などがそうですね。スポーツパフォーマンスにおいてバランスの考え方は、「バランスを崩さない」、「バランスを崩し続ける」「バランスを崩し、バランスをとって静止する」という3つの場合が考えられるのではないでしょうか。

したがって、「バランスを崩した状態で何かをする」という状況は考えられないということになります。バランストレーニングでよく間違われるのは、このことです。バランスを崩した状態で負荷をかけて何かエクササイズさせるということは考えられないのではないかということです。不安定な状態で何かのエクササイズをさせるということがあれば、その目的とその意味を考え直してみる必要があると思います。

バランスが崩れたら生体は、当然防御反応が働いてバランスを取り戻そうとするはずです。それをせずに崩れた状態を維持したり、その状態で何かをしようとすることは考えられません。崩れた状態を維持することと、崩し続けて移動することは全く異なります。このあたりのことを十分検討してみる必要があります。

静止が大事なことなのか、早く・スムーズに移動することが大事なのかということです。その違いがわからなければ、アスリートにとってバランストレーニングがマイナスに働くことも考えられるということです。一般の方の体力づくりでも同様です。

現場を見ていると、むずかしいエクササイズというか、むずかしい動作をやらせすぎのようにも思います。なぜ不安定なところや不安定な状態でエクササイズさせる必要があるのか考えてみることです。目的があって、方法があるわけです。Simple is best. の考え方がほしいところです。

シンプルなものの組み合わせが複雑なものであるわけですから、アスリートに対しても、一般人に対してもトレーニングの目的に対して最もシンプルなエクササイズから始めるべきだと思います。そうすると、今度は何がシンプルなのかという問題が出てきます。結局は、シンプルが分かってこそ、複雑なものが分かるということであり、物事の本質がわかってこそ応用がきくということと同じ考え方になると思います。

筋力トレーニングのエクササイズにしてもストレッチングにしても複雑な動作が多すぎます。そのために目的を達成できないトレーニングやストレッチ・ストレッチングになっていることが多いようです。基本、本質ということがいかにシンプルに説明できるか、また指導できるかということが指導者の技量を評価する基準になるかもしれませんね。

太らない体のつくり方|ニュースレターNO.236

先週末、平成スポーツトレーナー専門学校最後の卒業式がありました。実に良い卒業式でした。学生たちと一緒に私の卒業式でもありました。大学を出てから組織に属してきましたが、それも終わりです。本当の旅立ちになります。3月もあと一週間、心身ともにリフレッシュして4月を迎えたいと思います。

各地での勉強会も順調に開催されています。やはり物事の本質を知ることが指導者にとっては何より大切なことです。本やDVDで読んだり見たり、また講演や講習会に参加するだけではなかなか本質を知るところまでいきません。学んだことを実践でそのまま使うのでは発展性もなくすぐに壁にぶつかってしまいます。

本質が分かれば、実戦では応用が利きます。その応用がさらに活用の範囲を広げることになります。そういうことから、4月からは積極的に勉強会を開催して本質を伝えていきたいと思います。レベルアップを図りたい方や自分の知識や実践力を確認したい方はぜひ一度勉強会に参加してみてください。少人数でしか得られない勉強会の価値がきっとわかっていただけると思います。

今回のニュースレターは、メタボリックシンドロームについてです。一時メタボ対策として社会現象的にもなりましたが、今はなぜかあまり言われなくなってしまいました。一つには、腹周りが何センチ以上の人は・・・・という腹周りの基準があやしくなってきたこともあるようです。

いずれにせよ、余分な脂肪は健康に生きるためには支障をきたすことは確かです。どのようにして痩せるのかではなく、どのようにしてシェイプアップするのかという考え方でなくてはいけません。それを示唆してくれる著書が石井直方著:一生太らない体のつくり方(エクスナレッジ2008)です。シェイプアップに興味のある方は基礎知識として知っておくべき事柄がたくさん書かれていますので、是非著書をお読みください。今回は、ポイントを抜粋して紹介したいと思います。

『メタボリックシンドロームの定義を押さえておきましょう。これは、2005年4月に、日本肥満学会、日本動脈硬化学会、日本糖尿病学会など、8団体によってつくられた診断基準です。

まず内臓脂肪型肥満であり、そのうえで、血圧、血糖、血中脂質の三項目のうち、二つ以上が規定の値を超えた場合を、メタボリックシンドロームといいます。

内臓脂肪型肥満とは、内臓脂肪断面積が100平方cm以上の状態です。正確にはMRIなどで検査しますが、その目安としては、ウエストまわりが男性の場合で85cm以上、女性の場合は90cm以上としています。測るときは、お腹を無理にひっこめたりせず、軽く息を吐いた状態でへそまわりを測ります。服のウエストサイズとは違いますので注意しましょう。

ちなみに、脂肪には内臓脂肪と皮下脂肪があります。内臓脂肪は内臓の周囲につく脂肪、皮下脂肪は皮膚の下にある皮下組織という部分につく脂肪です。ウエストまわりが太いわりに、あまり皮膚をつまめないというのも内臓脂肪の特徴です。女性の場合は、太っていても皮下脂肪ということも多いようです。

また、とくに男性の場合、一見痩せているように見えても、実際には内臓脂肪がついているという人もいます。こういう人をいわゆる「隠れ肥満」といいます。気になる場合は、体組成計などで体脂肪を測定してみることをお薦めします。成人の男性で19%、女性で25%より値が大きいと肥満とされています。ただし、電気抵抗を用いる体組成計を利用しても、正確に体脂肪、とくに内臓脂肪を測定することは困難なため、目安としての利用ということになります。

メタボリックシンドロームの定義を説明しましたが、メタボリックシンドローム、イコール、即、生活習慣病というわけではありません。しかし、その予備軍(選択項目三つのうち、ひとつだけがあてはまる場合)も含め、緊急に現状を改善する必要があるのは確かです。』

『脂肪組織をつくる脂肪細胞は、脂肪の蓄積量が増えると、20種類以上の生理活性物質を分泌します。これらの物質は「アディポサイトカイン」と総称されますが、内臓脂肪は皮下脂肪にくらべ、その分泌活性が数倍も高いという特徴をもちます。

アディボサイトカインは、本来は体に有用な物質として働くのですが、その量が度を超すと、さまざまな「悪さ」をします。たとえば、アディポサイトカインのなかのTNF-αという物質は、動脈壁に炎症を引き起こし、動脈硬化になりやすくします。さらに、白血球に働いて、「レジスチン」という物質を分泌させますが、この物質は、脂肪、肝臓、骨格筋などに作用して、インスリンによる糖の取り込みをブロックします。

その結果、インスリンがやってきても、これらの組織がそれに抵抗して糖を取り込んでくれない、すなわち、血糖が下がりにくい「インスリン抵抗性」を生じ、糖尿病へと進みます。血糖が高くなると、血管のさまざまなたんぱく質が「糖化」し、動脈硬化も進みます。くわえて、PAI-1というアディポサイトカインは、血液凝固を促進し、血のかたまり(血栓)をできやすくします。

これが、内臓脂肪型肥満から糖尿病、動脈硬化、心筋梗塞へと至るシナリオの一部です。ということは、現在は予備軍ですらない人でも、加齢による代謝の減少を強く意識していただかないといけないということになります。なぜならば、年齢を重ねることで、誰でも代謝が落ちる、すなわち体に蓄えられた脂質や糖質をエネルギーとしてうまく使えなくなってくるからです。

つまり、何もしなければ、どんな人でもメタボリックシンドロームに近づいていってしまうということです。脅かすつもりはありませんが、事実なのです。

これが一番恐いことです。厚生労働省が2007年に発表した資料によれば、30歳から60歳代の男性、および60歳代の女性の三分の一が肥満に該当。さらに、40歳を過ぎた男性の場合、予備軍も含めれば、二人に一人がメタボリックシンドロームに該当します。

なお、現在、メタボリックシンドロームの診断基準については議論がなされていますので、今後、基準値が変更されることがあるかもしれません。男性でウエストまわり85cmというのは多くの人が該当してしまうこと、また臨床的に有用性がないのではないか、というのが基準値の変更を求める大きな理由となっているようです。』

『40歳を過ぎると目立って代謝が落ち、それにともなって脂肪の増加も際立つようになります。これは、筋肉量の減少によって起こります。筋肉量が落ちるため、それによって基礎代謝が落ち、徐々に体内にため込まれる脂肪が増えるのです。

基礎代謝は、筋肉量に正比例しています。誤解されている人が多いようですが、代謝、すなわち、人間が消費するエネルギーで、もっとも大きな割合を占めているのが基礎代謝です。その割合は、消費エネルギー全体の60%から75%におよびます。運動などの活動によって消費されるエネルギーは、20%から30%程度に過ぎません。

基礎代謝とは、生命を維持するために最低限必要なエネルギーのことです。つまり、何もしなくても、「普通に生きていれば消費するエネルギー」、あるいは、「生命を維持するために最低限必要なエネルギー」のことをいいます。

「痩せるためには、運動しましょう」と、よくいわれます。そのためか、エネルギーを消費するというと、ついつい運動によってエネルギーを消費することを思い浮かべてしまうかもしれません。しかし、実際には、私たちが毎日消費しているエネルギーのうちの、6割以上は基礎代謝が占めているのです。

個人差はありますが、最低でも6割は基礎代謝だと考えられます。もちろん、運動は運動で、とても重要です。しかし、もし消費エネルギーの量だけを考えるなら、せいぜい基礎代謝の半分くらい、という事実を知っておいていただかなければなりません。

そして、その基礎代謝の6割は、筋肉による熱生産のためのエネルギー消費にあてられます。基礎体謝が筋肉量に正比例するというのは、こういった理由からです。
残りは、肝臓や腎臓が2割と、褐色細胞と呼ぼれる脂肪組織が2割です。ちなみに、褐色脂肪とは、熱を発生する脂肪のことです。成人で40g程度とそれほど多くはないのですが、脇の下周辺に位置し、この褐色細胞は太りやすい、太りにくいという体質に非常に強く関連しています。

数字が重なりましたので、ここで一度整理しておきましょう。

エネルギー消費の6割が基礎代謝によるもので、その基礎代謝の6割が筋肉によるもの。すなわち、0.6×0.6=0.36。つまりエネルギー消費の36%が、筋肉によるものなのです。また、基礎代謝の6割は「最低で」ということですから、「エネルギー消費の約4割が筋肉によるもの」といっても、さしつかえないと思います。

40歳を過ぎると代謝にもっとも大きな比率を占める、筋肉の量が目立って減ってくるのですから、代謝量が落ちるのは当然のこと。そして、その結果、脂肪が増えるのも当然のことです。』

『筋肉と代謝の関連を考えるうえで、「安静時代謝」のことをお話ししておく必要があるでしょう。基礎代謝は正確に評価することが難しいため、一般的には、私たちがおこなう実験も含めて、安静時代謝の数字を使います。安静時代謝とは、普通に静かに座っているときの代謝のことです。

たとえば背筋をピンと伸ばしているかどうかなど、座りかたによりますが、少なくともどんな態勢でも、座っているという姿勢を維持するために活動している筋肉のエネルギー消費が上乗せになります。姿勢を維持するために活動している筋肉もあるのです。その筋肉の活動分などが、基礎代謝に上乗せされ、基礎代謝の20%増しくらいの数字になります。

この安静時代謝という見方からすると、筋肉が減少することによって、ますます代謝が落ちてくるということになります。姿勢を維持するだけでも筋肉を使っているのですから、筋肉量の減少はそのまま安静時代謝の減少となってあらわれます。

ただ座っているときなどは、とくにその姿勢を維持するために筋肉を使っている、などとは意識していないと思います。しかし、体の幹、すなわち僻轍、あるいは、体の中心〈コア〉といってもいいのですが、間違いなく筋肉〈マッスル〉を使っています。コアマッスル、つまり、体幹の筋肉を使っているのです。

基礎代謝だろうが、安静時代謝だろうが、細かいことはどうでもいいと思われるかもしれません。しかし、実は、安静時に姿勢を維持するために活動するコアマッスルを鍛えることが、脂肪を燃焼させるためには大切なのです。コアマッスルを鍛えることこそ、真のダイエット道の鍵を握っているといっても過言ではありません。』

『筋肉量が増えるまでには時聞がかかるからと、あるいは効果が実感できるまでが長いからと、つらい筋トレを最初から諦めてしまう人は少なくありません。しかし、もし、「筋トレ、即、代謝が上がる」としたらどうでしょう。筋トレを最初から諦める必要はないはずです。

即、代謝が上がるというのは、筋肉をよく動かすような運動をしたあと、つまり筋トレのあとは代謝の高い状態が続くという意味です。もちろん、即、筋肉量が増えるということではありません。そんなことはあり得ません。ただ、筋トレなどをおこなって筋肉をよく動かしたあとは、筋肉量に関係なく、一時的に代謝が高い状態になり、それがしばらく続くのです。

なぜこうしたことがおこるのかというと、筋トレによって筋肉に負荷がかかり、その負荷によるストレスを修復しようとする機能が体のなかで働くからです。

私の研究室の実験結果から確かめられている範囲では、少なくとも運動後6時間は、代謝のやや高い状態が続くことがわかっています。アメリカの研究グループからは48時間続くという報告もあります。だとすると、まる二日間、代謝の高い状態が続くということになります。

しかも、その代謝の高い状態の間に脂肪の使われ方が上がることもわかりました。普段なら糖と脂肪が使われる割合は五対五ですが、それが、四対六、あるいは三対七と脂肪が使われる率が明らかに高くなるのです。その状態で有酸素運動をすればどうなるでしょう。

代謝が上がり、しかも、脂肪がエネルギー源として使われる率が高い状態で有酸素運動をする。脂肪を消費する効率がよくなることは明らかでしょう。

中略

大切なのは、「順番」ということです。まず筋トレをし、代謝の高い状態、脂肪が使われやすい状態をつくり、そのうえで軽いジョギングやウォーキングなどの有酸素運動をすると効果的だということです。

筋トレと有酸素運動の順番を間違えてはいけません。順番を間違えると、脂肪の消費が上乗せになる、効果的な有酸素運動とはならないからです。さらに、もうひとつ大切な理由があるのです。

最近の研究の成果なのですが、筋肉に負荷をかける、つまり、筋肉トレーニングをすると、筋肉からさまざま物質が出てくる、分泌されるということがわかってきました。

筋肉はエネルギーの一番の消費者であるだけではなく、内分泌器官としても働いているのです。筋トレ後に分泌される物質は、おもしろいことに脂肪組織に働きかけ、その分解を促進するものもあることがわかってきました。たとえば筋肉をよく動かすと、交感神経が活性化し、副腎からアドレナリンが分泌され、脂肪の分解を促進し、代謝を高めます。筋トレ後に代謝が高くなる理由のひとつです。筋肉運動を先におこなうほうが効果的である理由はここにもあります。』

力の抜き方|ニュースレターNO.235

3月に入り、私の学校も後卒業式を残すのみとなりました。現在4月からの活動について調整中です。今のところは、H.S.S.R.プログラムス主宰での活動となりそうです。それに伴い、ホームページも尐しずつリニューアルしていく予定でおります。

これまで1900名を超える方に登録いただいておりますが、再登録の方やアドレス変更とアドレスが不十分な方もおられるのですが、十分整理できておりませんでした。それでこれまで登録していただいている方で登録内容が十分でない方々について整理しております。

まず住所がなかったり不十分である方、職業などの情報が全くない方について整理しております。4月8日のニュースレターが届かない場合は、これに該当した方ですのでもう一度登録してください。また心当たりのある方は早めに再登録してください。4月から登録方法も変わります。登録が完了すればその旨のメールを返送いたします。詳しくは4月以降のホームページをご覧いただければと思います。基本的に情報発信のホームページにしたいと思っております。

さて、今回のニュースレターでは、「力を抜く」とはどういうことなのか、ということについて考えてみたいと思います。力を抜けといわれても、どれくらい抜けばよいのか。

そして、本当に力を抜くことはできるのか、そんな疑問に答えていただいた論文がトレーニング・ジャーナル2009.12号に「トップアスリートでも難しい力の抜き方」(木塚朝博・筑波大学大学院人間総合科学研究科准教授)掲載されていました。非常にわかりやすい解説であり、指導の現場において参考になると思います。興味のある方は、掲載記事をお読みください。ここでは、抜粋して紹介します。

『スポーツの指導において「力を抜け」とか「リラックスしろ」という言葉を選手が理解しづらいのは「力を抜けと言ったって抜いてしまったらやりたいことができなくなってしまう」と感じるからです。つまり、バッティングであれば、バットを振りにいく力は必要です。

必要な力と無駄な力というのを理解していない状態の選手に「力を抜け」と言っても、きっと選手は力を抜きすぎるか、理解できないことで逆に混乱してしまい動作そのものが崩れるか、いずれにしてもパフォーマンスは低下してしまいます。実際には「抜け」と言われたときに、どれくらい抜けばよいのかということが1つの大きな鍵になります。

もう1つの鍵は、力を抜く局面です。私は最近、選手の口元に着目しています。バッティングでバットにボールが当たった後、口から息を吐いているような状態を見ることがあります。まだ呼称はつけていないのですが、今のところこれを「ブレスアウト」と呼んでいます。バットを振った後にも力が入っていると、結果的にですが、スイングスピードは遅くなってしまいます。

また最初からブレスアウトをしていると、きっと力を入れられないでしょう。ですから、テイクバックからボールがバットに当たるまでは力を入れておいて、その後に無駄な力を入れないために「フーッ」と吐きながら振るのです。

ボールがバットに当たった後、いわゆるフォロースルーの局面で力が入っていてもよいと思うかもしれませんが、そこで力を入れないことで筋へのダメージを減らすことができますし、スピードを保ったまま振り抜くことでそれ以前のバットスピードを落とさないことができます。逆にフォロースルーで力を入れてしまったり止めようと思うと、それまでにスピードを落としてしまうのです。

これはテニス選手でも見られます。テニス選手の中にはラケットにボールが当たった後で大きな声を出す人もいますが、これもブレスアウトの例でしょう。フォロースルー時のスピードを落とさないことで、スイングのスピードを高めようとしているのだと考えられます。また100m走でもブレスアウトしている選手がいます。

加速局面から中間疾走では顔や首に力が入っているのですが、ゴール前になるとプレスアウトしているのです。ゴール前でのスピード低下を抑えるために、無駄なカを入れないようにしていると考えられます。筋トレもそうです。

筋トレで息を吐きながら力を出しなさいというのは、1つには血圧を上げないようにするためですが、もう1つには息を吐いたほうがスムーズに動けるという経験からきているのです。このように力を抜くのはその量と局面が重要なのです。』

『体育やスポーツの分野では、これまでの研究にしても指導の理念にしても、どうやって力を出すかということについて述べられてきた部分が圧倒的に多いと思います。それに比べると、どうやって力を抜くかだとか、どうやって力を入れずに済ませるかということのノウハウは非常に尐ないのです。また、それが高度な指導技術であるために力の抜き方について触れる機会のあるコーチも尐ないのかもしれません。あるいは、企業秘密のようになっているのかもしれまぜん。

また人間の能力としても、抜くほうが難しいということも力の抜き方が語られてこなかった1つの理由でしょう。たとえばフィードバックを与えながら、山の形のように徐々に力を入れて抜かせるというタスクを与えます。その形に沿って力を上昇させるときは比較的うまくいくのですが、抜くときにはどうしても階段状になってしまい、スムーズに抜けません。これは脳の制御も抜くときのほうが難しいから起こることです。

神経の発火頻度を見るとよくわかります。力を出し始めると、出力は低いけど疲労には強いタイプの筋線維につながる神経が発火します。それが徐々に大きな力は出るけど長続きはしないという筋線維につながる神経が発火するようになります。若い人では比較的スムーズにこの順番で力を出して逆の順番で抜いていけるのですが、高齢になると抜くときに順番通りに抜けなかったり、一気に抜いてしまったりして波形が乱れてしまいます。

人間の脳は力を抜くときにキャンセルの指令を出しているのですが、それをじわじわとは出せないのです。ある程度まとめてキャンセルの指令を出すために、どうしても階段状の抜き方になってしまいます。

これは車の運転で感じることができます。クラッチを抜くときに一気にガンと抜いてしまうことがあります。ゆるやかに半クラの状態に入らないわけです。また、ブレーキングのときのプレーキペダルの操作もそうです。酔いやすい運転をする人は「ビューン、ゴンッ」と止まります。

最初は緩やかにブレーキをかけていくのですが、最後のところでゆっくり抜けずにグッと踏み込んでからドンと離してしまい、フワーっと止まれないのです。アクセルワークでも同じことがいえます。高速道路を一定のスピードで走るのは結構難しいことです。出しすぎたスピードを落とそうとしてアクセルを弱めるとき、弱めすぎてしまうとガクンとスピードが落ちます。

これはまずいと思ってもう1度踏み込むとスピードは上がりますが、これを繰り返すとグゥイングゥインという不快な運転になってしまいます。

このように人間はもともと抜くことが不得意なのです。研究でもスポーツの指導でも、この分野にあまり手を出したがらない理由が分かります。しかし、スポーツの指導の中ではその不得意な部分にアドバイスしなければならないこともあるので大変です。』

『力を抜くということが難しくまたその機構も複雑であることがわかりました。では実際の運動ではどうなのかというと、必要最小限の力を入れて過剰な力を抜くということになります。では、何がどれくらい過剰なのかが気になります。

そこで、飛んできたサッカーボールを足の甲でコントロールするクッションコントロールについて実験をしました。筋電計で大腿直筋、内側広筋、前脛骨筋、腓腹筋内側頭の4カ所を測定し、同時に足関節の角度も測定しました。

まずはサッカー群と非サッカー群で比べてみました。非サッカー群とはいえ体育専門学群の学生に手伝ってもらいましたから、それなりにうまかったのですが、ボールが足に当たる瞬間に足首がわずかに動いてしまっていて固定できていませんでした。これは角度でいうと1゜以下程度の違いでした。足首を固定するといっても、そんなに大きな筋力は必要ありません。

尐し背屈させた状態で前脛骨筋の筋力を大きくして後ろに引っ張られないようにしながら、逆に背屈し過ぎないように腓腹筋もわずかに収縮して前後で同時収縮することによって足首を止めるのです。

サッカー群ではこれが一定でしたが、非サッカー群ではとくに腓腹筋のほうが大きく出てしまいました。この部分が無駄な力なのです。また、内側広筋と大腿直筋については軸足のほうを測定していたのですが、軸足の膝関節をロックしてしまうことで筋活動量が多いことがわかります。

視覚的にこの違いはわかりますが、では実際にはどれくらい違うのかというと、腓腹筋内側頭と内側広筋と大腿直筋の筋活動量を足して群間で比べたところ、約3~5%の違いでした。この3~5%の差異とクッションコントロールにおけるパフォーマンスの違いには相関があります。

さらにサッカー上位群と下位群とで比べてみました。そうしたところ、やはり腓腹筋内側頭と内側広筋と大腿直筋の筋活動量を足したものとパフォーマンスとに相関はありそうでした。しかしそれよりも驚くべきは、筋活動の差は1.5~3%程度だったのです。このわずかな差が無駄な力になって円滑な関節角度の制御を妨げており、適度な関節の固定ができないということにつながったのではないかと考えられます。

ではこの無駄な筋活動について、「この部分の力を抜いて下さい」と言っても、それは無理です。それを感じて抜くためには、スポーツ選手は莫大な時間を使って相当な練習の量をこなさなければなりまぜん。基礎的な練習を何度も何度も何度も繰り返さなければ、このようなわずかな狂いを修正することはできないのです。

また、これができたからといってレギュラーになれるわけではありません。力を抜く能力というのは、パフォーマンス向上に関わるたくさんある要素の中のたった1つにすぎないのです。』

『無駄な力を抜くということを考えるのは、本当に難しいことです。その一方で無駄な力を定量化できるようにはなりました。ではその先にどうすればよいかと聞かれれば、これまで言われてきたように「覚えるまで振れ」とか「疲れるまで泳げ」ということが大事なのです。地道にやるしかないということが科学から改めてわかってしまいました。

結局、経験値が正しいことを証明しただけとも言えます。もちろん、力を抜くべき局面や量というのは尐しわかりました。また力を抜くことは難しいということも改めてわかりました。

またこういった科学的データとは別に、いろいろな選手を観察したことによって形も見えてきました。たとえば指が上を向いているとか下を向いているとか、息を吐いているような口をしているとか、舌がどうだとかそういうことです。力が入っていたらこうはならないという形を探すことができました。これは定量化がしにくく、科学的論文にはなりにくいところです。

しかし、このような形というのはたくさんあります。ある世界的に有名なゴルファーはパッティング動作のときによく歯を見せて口を噛んでいます。それをよく見ると、下唇を噛んでいるのです。実際に噛んでみるとわかりますが、力を入れて噛むと痛いところです。ですからそれは力を入れないための方策だといえます。

また陸上競技やバスケットボールでも舌を出してプレーしている選手もいます。それを意識しているのかどうかは本人に聞いていないのでわかりまぜん。しかし、形としては存在しているのです。

剣道では面を打ちにいっているときに頭が後屈している写真をよく見ます。これは対称性緊張性頸反射と同じ姿勢です。確かに頸を後屈させると手は伸ばしやすいのです。しかしこれは反射を利用しているわけではありません。頸部に力を入れすぎずゆったりと構えている状態から、バッと身体が前に出ると重たい頭は遅れて動き、そのような姿勢になります。

早く打ち込んだときに、このような形になるということです。ですから、このような形だけを真似しても、それは本末転倒です。できていない人がこれを真似してもパフォーマンスは下がるでしょう。ひょっとしたら舌を噛んでしまうかもしれません。結果的にこのような形になるには、どうアプローチすればよいかを考えることが大切なのです。

バンクーバー冬季オリンピック|ニュースレターNO.234

バンクーバー冬季オリンピックも終盤に入りました。日本選手たちの活躍もあれば残念な結果もあり、また当然の結果も見られたようです。スピードスケート男子500mの長島、加藤選手の銀と銅は日本選手最初のメダルでしたが、優勝できていたと思うだけに残念です。

力みばかりが目立った滑りでとても最高のパフォーマンスの発揮といえなかったと思います。前回の冬季オリンピックの時にも書いたのですが、滑りでの動きが外国選手と日本選手は異なる気がします。よく見ると、日本選手は膝の動きで氷を押しているように見えるのですが、外国選手は膝を固定して股関節の動きで氷を押しているように見えます。

氷を押すタイミングと身体の重心に対する膝の位置が異なるように見えました。それが大腿四頭筋を使って滑ろうとするのか、股関節の伸筋である臀筋とハムストリングスを使って滑ろうとするのかの違いになると思います。距離が長くなればなるほど、疲れの出方と動きの違いが顕著に見られるように思いました。

また、短距離も長い距離も出だしはいいのですが、後半極端に失速してしまいます。500mにしてももっとペース配分(例えば100m単位で)について戦術を組み立ててはどうかと常々思っています。出だしの勝負というより、結局は平均ペースで最高タイムを出すことを考えたほうが前半の力みも尐なくなるのではないでしょうか。

この落ち込みを脚にきたといわれるように、大腿四頭筋を使っているために速く大腿四頭筋に乳酸がたまってしまって脚が動かせなくなるのではないでしょうか。トップスピードに速く乗せて、そのスピードを持続するという考え方が基本のようなのですが、そのトップスピードをどの程度にするのかが問題だと思います。100%のスピードに達してしまえばその後はスピードダウンしかないはずです。

実は、昨年急に出てきた女子の小平選手の滑りは、注目していました。これまでの日本選手に見られない股関節の伸展動作で滑っていたので、オリンピックでの活躍も楽しみにしていました。彼女は最初の500mでペース配分に失敗しましたが、その後の1000mと1500mはペース配分もうまくいき見事5位と健闘しました。

日本選手に共通してみられるのが、ゴールした後の疲労感です。あの疲労感は、全力を出し切った疲労感ではなく、無駄な力を使って緊張し続けた結果だと思います。ベストパフォーマンスでは、ほんの尐し余裕が見られるはずです。ベスト記録を出した時と、いい記録が出なかった時の疲労感を思い出せばわかるはずです。

100%の力を発揮するには100%の力を出そうとするのではなく、1-2%の余裕が必要だと思います。100%の力を出し続けることはできないはずです。そんな勘違いがよく見られます。それが頑張ろうとすることだと思います。頑張るということは、眼を見開いて周りに集中し、緊張を最大にするということのようですから、頑張ろうという意識はマイナスに働くということを忘れてはいけません。

スノーボード、ハーフパイプやモーグルなどで日本選手も健闘しましたが、技の面では互角かそれ以上の面も見られるのですが、最大の違いはスピードにあるように思われました。言い換えれば、恐怖感に対する度胸の違いのように思えました。一歩間違えれば死につながる競技の中で、いかにその恐怖に打ち勝って滑ったり、空中に飛び出せるかが勝負の分かれ目になるのだと思いました。

ある意味、普通の人間ではできない競技ですし、何かが変わった人間でないとできない競技だと思います。そのような競技をしているアスリートは尊敬するしか私にはできません。

男子フィギュアスケートで銅メダルを取った高橋選手は、ショートプログラムとフリーのいずれにおいても最高のパフォーマンスをしたと思います。フリーでジャンプのミスはあったものの、完全に持てる力を出し切った演技だと感じましたし、感動を与えてくれました。それが演技終了後のガッツポーズに現われていていました。

結果はともかく、最高のパフォーマンスを発揮した選手は彼一人だったように思います。夏季のオリンピックも同様ですが、オリンピック本番において日本選手の10%も自己ベストのパフォーマンスを発揮できていない現状をもっと見直すべきではないでしょうか。

現状のベストを尽くしたとよく言っていますが、それは当然のことでそれができなければやる気がないということでしょう。問題はなぜ本番で力が出せないかということです。どうもオリンピック本番を目指したピリオダイゼーションが考えられていないようにも思われます。どのようプロセスを踏んでオリンピック本番を迎えているのか知りたいものですね。

メダルや入賞という前にベストパフォーマンスができなければ何のためのオリンピックなのか、世界大会なのかということになるように思います。我が国の状況からすれば、単に参加することに意義があるのではなく、自己ベストを発揮してくることが最低限度の目的になるのではないでしょうか。その結果が、入賞やメダル獲得ということにつながると思います。

スキージャンプは、ラージヒルで葛西選手が1本目はだめでしたが、2本目のベストパフォーマンスを発揮し、8位入賞しました。トップレベルの選手たちとの差はやはり跳び出す動作の違いにある気がします。このことも前回の冬季オリンピックの時にも書いたことですが、立ち上がり方に違いを感じました。

立ち上がって跳び出すのですが、そのわずかなタイミングの違い(いわゆる踏切のタイミング)、跳び出す・跳び上がる角度の違い、そして立ち上がる動作の手順によって飛距離が大きく変わります。その中で立ち上がる動作の手順のわずかな違いが大きく影響しているように感じます。団体でメダルを期待されましたが、5位に終わりました。

選手はほぼベストのジャンプをしたのですが、それでもメダルから遠くはなされたという現実は、大いに見直さなければいけません。大会が終われば、また何が世界から遅れているのか連盟から発表されることでしょうが、4年前と同じ話になるような気がします。そうなると、結局何も分かっていないということであり、次のオリンピックも結果が見える気がします。

スピードスケートの清水宏康が朝日新聞に「日本はスポーツ後進国」という記事を書いていました。何が後進国なのかということですが、私は指導方法なりトレーニング方法が後進国なのだと思います。ジャンプ競技で外国のコーチを呼ぶのですが、日本の選手になかなか受け入れられないことが多いようにも聞きました。

日本選手の場合、スポーツ科学やすべての競技において道具やウエアは一流なのですから、それを最大限に活用できる技術と体力が必要なのですが、技術と体力のいずれが足りないのか真剣に検討すべきではないでしょうか。オリンピックごとに同じことが言われますが、体力ということにしても競技種目ごとに異なるわけですから、そのあたりのことも間違ってはいけません。

特に伝統的なトレーニングというものがあるなら、見直す必要があると思います。トレーニングの原則にもあるように、毎年同じことを、それも何年も続けていないか、それも気になるところです。ただ同じことを量を増やして体を追い込んでいるだけではどうしようもありませんね。

我が国と対照的にスケート競技で世界のトップに立ったといえる隣国の韓国は、注目に値します。そんな中、2月21日(日)毎日新聞朝刊に「朝鮮日報記者が韓国の強さ分析」というタイトルの記事が掲載されていました。その一部を紹介します。

『男子五千㍍銀の李承勲はもともとスピードスケートをしていたが、ショートトラック(ST)に転向した選手だ。STでは代表選手に漏れたため、ふたたびスピードスケートに挑戦した。厳しいSTの訓練で作った体力には自信があった。身長177㌢の李が体格の劣勢を挽回できたもう一つの要因は、STで学んだコーナリング技術だった。このため李はカーブで加速した。李はスピードスケートの練習スケジュールを消化しながら、個人的にSTの訓練も続けていた。

女子五百㍍で金を取った李相花は内ももの筋肉が発達している。李がスクワットで持ち上げたバーベルの記録は170㌔だ。

韓国代表は昨年の夏に体力作りの強度を最大値の90%にまで引き上げ、7月と9月にはカナダのカルガリーで訓練。その後、国際大会で実戦感覚を養い、開幕前の1月から再び体力強化に取り組んだ。また、大韓スケート連盟がバンクーバー五輪準備のために4年間で約9億3600万円の予算を使い、スピードスケートとショートトラック、フィギュアスケートを手厚く支援した点も大きい。』

肩の機能評価とエクササイズ|ニュースレターNO.233

年が明けたと思ったら、もう2月です。もうすぐ冬季オリンピックも開催されます。果たして日本選手はどんな活躍を見せてくれるのか楽しみです。平成スポーツトレーナー専門学校は、3月で閉校します。授業も終わり、今週からスポーツトレーナースペシャリストの試験が始まっています。

最後のスペシャリストの試験ですが、果たして何名が合格してくれるでしょう。それも楽しみです。わたしの方は、4月からの予定は明確ではないのですが、いろんなところからいろんなご依頼を受けており、ありがたく思っています。特定のところに所属せず、いろんなところに出かけていって、私の考え方や技術・テクニックを伝えて行きたいと考えています。

そう思うと、今は楽しみで仕方ありません。特に身体調整の手技については、これまでやってきたものをよりシンプルにしていけるようにまとめているところです。今後は、マンツーマンでも指導・伝授していきたいと思っています。詳細については、4月に入ればお知らせできると思います。また、多くの方からご要望いただいている学校で使っている専用テキストやスポーツトレーナースペシャリストのDVDも現在作成中です。これは限定ですが、4月に紹介したいと思います。

さて、今回のニュースレターは、タイトルのとおり「肩の評価とエクササイズ」について参考になる文献を紹介したいと思います。東京医科歯科大学大学院運動器外科分野、理学療法士の八木茂典らが2007年肩の新しい解剖知見を発表し、アメリカ整形外科学会において最優秀賞を得ました(Mochizuki,AAOS,2007)。

その一部がSportsmedicine 2009 No.115「肩の新しい解剖知見に基づいた機能評価とエクササイズ」で紹介されました。肩の構造機能について認識を新たにするとともに、新たな情報を得ることができます。施術家やスポーツトレーナーにとっては非常に役立つ情報が得られると思います。上記の掲載記事から抜粋して紹介したいと思います。

『肩の筋は、肩甲棘を境に上が棘上筋、下が棘下筋、その下に小円筋があります。停止部は大結節の上に棘上筋、後ろに棘下筋、下のほうに小円筋がついているとされてきました。棘上筋は横走して大結節に向かっているようにみえます。棘上筋は半羽状筋で前縁部分にしか腱性部はなく、筋は腱となって、停止部付近で前方へ走行を変え、大結節の前方と小結節に停止していました。

棘下筋は横走部と斜走部からなり、横走部は斜走部の表層にくっついていました。斜走部は骨頭の上方から回り込んで大結節に停止していました。

これまで、たとえばMRIでみたときに、骨頭の上部が断裂していると、それは棘上筋と思われてきたけれど、実は棘下筋なのでは、ということです。棘下筋が断裂しているのなら、棘下筋が萎縮している例も納得できます。こういう解剖の知見がわかると、MRIのみかたも変わるし、機能評価も変わるし、エクササイズや手術の仕方も変わってきます。』

『新しい解剖知見を踏まえると、棘上筋は下垂位では内旋や屈曲に作用すると考えられます。下垂位でも外旋すれば外転に作用すると考えられますが、棘下筋こそがもっとも外転作用をもつと考えられます。Sahaの筋電図による報告でも、挙上でもっとも働いているのは棘下筋です。

挙上する際、棘下筋が働いているので、上腕骨は外旋しながら挙上するのです。棘上筋、棘下筋ともに停止部近くで前方ヘカーブしているのは、人間が四足獣から進化したからと考えるとスッキリします。こう考えると、挙上位で安定した肢位になり、棘上筋、棘下筋のねじれが完全に解消された肢位がZero Positionであると解釈できます。』

『棘上筋の作用方向を考えるとエクササイズとしては屈曲や内旋運動が推奨されます。ゴムチューブやダンベルを用いて内旋位での軽度外転するエクササイズが棘上筋エクササイズとして紹介されています。私も浅学の頃、教科書にそう書いてあるからこれが棘上筋のエクササイズと思っていました。1989年、Jobe博士はJobe test(棘上筋テスト)というのを発表しました。Jobe博士は、肩甲骨面上の挙上で90゜外転位で、前腕を回内させると記しています。

肩内旋位で、とは記していません。それがいつのまに内旋位で下垂位からの外転エクササイズに置き換わってしまったのでしょうか。

このように、原典となっている成書にはちゃんと書いてあるのに、正しく普及していないものはたくさんあります。肩の分野で有名なCodman体操(アイロン体操とも呼ばれるもの)があります。体幹を前屈させて、錘やアイロンなどを持って手を前後に振るみたいなことが普及しています。Codman先生が最初に書かれているのは上肢を脱力して、体幹を前屈させると記されています。

前屈すれば、上肢は自然に挙上した位置になります。それだけです。手を振るとか、手にアイロンを持つとは書かれていません。』

『棘下筋エクササイズとしては、下垂位での外旋運動が有名ですが、筋電図で下垂位の外旋を調べても棘下筋はあまりはたらいておらず、90゜外転位での外旋でよくはたらいていました。臨床において、棘下筋が萎縮している例に下垂位で外旋エクササイズをしてもなかなか効果は得られませんが、90゜外転位で外旋エクササイズすると効果を得られることを感じている先生も多いと思います。

それがこの研究のように解剖的に明確になると、臨床に真剣に取り組んでこられた先生には「やっぱりそうか」と納得していただけるのではないでしょうか。

棘下筋のエクササイズとしては内旋位での外転運動や、外転位での外旋運動が推奨されます。昔、私を指導していただいた(元)日本体育協会スポーツ診療所の川野哲英先生に、このエクササイズが有効であると教えていただきました。当時はなんでこのエクササイズが有効なのか、よくわからなかったのですが、これは棘下筋のエクササイズで、非常に的を射たものです。

臨床を豊富に行っておられる先生は、その筋に的確な効果が得られるエクササイズがわかっておられたのだなと思います。

信原克哉先生の提唱されたGlenohumeral Rhythm(臼蓋上腕リズム)というのがあります。簡単に言えば、臼蓋が骨頭を取り込むように両者の適合関係が大切であるという考え方です。挙上すると臼蓋の中を骨頭が転がり、接触点も上に移動します。骨頭の前上方偏位があると、挙上したとき上方でインピンジが生じてしまいます。

ゴムチューブを骨頭に近いところにかけることで、骨頭が過剰に上がらないよう押さえ、正常な関節運動をアシストする作用があるのだと思います。棘下筋は骨頭を引き下げながら挙上作用をもっていますので、棘下筋に筋活動を学習させる有効なエクササイズであると思います。(元)昭和大学藤が丘リハビリテーション病院の山口光國先生も、抵抗は上腕にかけるとおっしゃっていましたし、やはり臨床をよく診ている先生は、よくわかっていらっしゃるんだなと思います。』

『下垂位で純粋に外旋方向に作用するのは小円筋になります。棘下筋が断裂している例でも、内旋位からの外旋は筋力発揮することができることができるのは、小円筋が作用しているからと考えられます。外転位では内転に作用します。』

『肩甲下筋には筋内腱が複数あります。腱が複数あるということは、作用が複数あるということです。下垂位では上部線維が、挙上位していくと中部、下部線雉が作用することで、あらゆる角度で内旋できるようになっています。エクササイズするときも挙上角度を変えて実施することが有効と考えられます。

実施する際は、椅子に座った姿勢であれば体幹前屈角度を深くしていけば、挙上位のエクササイズになります。または背臥位になると肩甲骨が安定し、かつ重力が負荷になります。肩のエクササイズをするとき、手でものを握ると、それだけで筋活動が変化してしまいますので、私はゴムチューブを使うときでも手に握らせず、手首や指に引っかけたり、無負荷で実施しています。

肩甲下筋腱の上2/3は小結節に停止し、最上部線維は小結節のさらに上に停止していました。骨頭を引き下げ、挙上にも関与しています。挙上する際、三角筋が収縮すると上腕骨は上方へ牽引されてしまいます。臼蓋-骨頭が適合を保った状態でいるためには、骨頭を引き下げる作用が必要になります。この骨頭を引き下げる作用は、前述の棘下筋と肩甲下筋上部線維が協働して担っていると考えられます。

言い換えれば、骨頭の上方偏位の原因のひとつに、棘下筋、肩甲下筋上部線維の機能低下があるということになります。』

『外旋制限のある例がよくみられます。一般的に、内旋筋である肩甲下筋の拘縮と思われていることが多いですが、肩甲下筋をゆるめても、なかなか外旋可動域が改善されないことがあります。手術で、烏口上腕靱帯を切離するとそれだけで、一気に外旋可動域がよくなることから、鳥口上腕靱帯の機能が注目されています。

鳥口上腕靱帯は下垂位や伸展位の外旋で伸張することができます。

小胸筋は烏口突起に停止しているとされています。しかし、われわれの報告では、鳥口突起を超えて、烏口上腕靱帯と重なって上腕骨大結節付近へ行っていました。臨床的に、小胸筋の緊張を緩和すると可動域が改善することからも、両者の深い関係があると思われます。エクササイズとしては、鎖骨の下から鳥口突起の下を圧迫して腕を振るように実施しています。

挙上する際、鎖骨は約30゜挙上と、クランク状になっているので30゜分の回旋をして60゜外転します。鎖骨は肩甲骨と関節をなして、同調して動いていますので、肩甲骨も60゜分外転し、上腕骨の120゜と合わせて最大挙上が成り立っています。大胸筋が鎖骨に停止しているので、大胸筋の硬さは鎖骨の動きを制限し、肩甲骨、挙上可動域の動きを制限することになりますので、鎖骨の下もゆるめておきます。』

『挙上するというのは、肩だけの動きではありません。背中を丸めた姿勢では最大挙上できません。脊椎の伸展や胸郭の可動性も関与しているからです。術後早期や、肩の痛みの急性期には、深呼吸をするだけでも効果があります。

ストレッチというと、引っ張って伸ばすイメージがありますが、私は、深く吸気することでからだの内側から風船をふくらますイメージでやっています。肺は右に3つ(上葉、中葉、下葉)、左に2つ(上葉、下葉)の風船があります。普段の浅い呼吸では前方の風船(上葉)しか使っていませんので、脇や背中の風船(中葉、下葉)をふくらませるイメージです。鼻から吸気し、口から呼気するように指導しています。

機能的にみると胸郭の上を肩甲骨が滑るので、肩甲胸郭関節と呼ばれていますが、胸郭と肩甲骨の間は骨と骨の関節ではありません。なんでこんな動きができるかというと実は肩甲挙筋、菱形筋、前鋸筋は1枚のシート状の筋です。この上に肩甲骨が貼りついているのです。つまり3筋は共同して肩甲骨の動きに関与しているのです。

肩甲挙筋は挙上に、菱形筋は内転に、前鋸筋は外転や上方回旋に作用します。これらの動きの入っているWinging exerciseのようなエクササイズが効果的であると感じています。』

『肩甲骨面上の挙上で、肩甲上腕関節20~30゜において関節包の張力は均一となると報告されています。挙上にともない肩甲骨も上方回旋しますので、つまり上肢挙上では45゜付近となります。下垂位では上方の関節包が緊張するので、骨頭の上方偏位は生じません。45゜挙上位では関節包による影響を排除できるため、筋力評価をするのに有効な肢位となり、私もよく用いています。もし、この位置で筋が正しくはたらかなければ、臼蓋-骨頭の位置関係は損われます。

骨頭が上方へ偏位する、または臼蓋(肩甲骨)が下がれば、インピンジメントが生じます。肩甲骨の動きを抑えることで正常な関節運動となるのなら、肩甲骨側(肩甲胸郭関節機能)の問題となります。

骨頭の偏位を評価するには、私は、自分の膝を利用して上腕骨が肩甲骨面上になるようにし、クライアントが一番安楽な姿勢として骨頭を触知しています。この位置から、たとえば骨頭が前方偏位していて痛みが出ているのなら、骨頭をより前方へ移動させればより痛くなり、骨頭を現在の位置より後方へ下げれば痛みは減るはずです。内旋すれば骨頭は前方へ転がりますし、外旋すれば後方へ偏位させることができます。

骨頭が前上方偏位してしまう原因のひとつに棘下筋、肩甲下筋の機能低下があることは述べました。ほかには、後方関節包などの後方構成体の拘縮があります。後方構成体の拘縮があると、屈曲90゜での内旋や、水平内転などの関節可動域が制限されます。有名なのは側臥位での内旋ストレッチです。

しかし、正しく行うのは難しいです。内旋を肩甲骨上方回旋で代償できるからです。私は、側臥位で90゜屈曲した上腕の上に胸を乗せるようにして上腕を固定し、そこから内旋するようにしています。骨頭の前上方偏位を修正するには、骨頭を後下方へ押し込まなければなりません。徒手的に行うことはもちろんですが、ひとりでエクササイズとしてできることが重要です。

四つ這いで、肩甲骨を内転させます。肩を内旋位で肘を伸展でロックさせておきます。反対側の肘を脱力すれば、自重を利用して骨頭を後方へ押し込むことができます。骨頭で後方構成体をストレッチする感じです。

徒手的によい方法があったとしたら、それをいかに簡単なエクササイズにしていくか。そこを考える必要があると思います。腕のよい先生しかできないというのではダメで、誰でもできるエクササイズとして落とし込んでいくのが大切だと思っています。』

『アウターマッスルとインナーマッスルという言葉があります。筋の機能をみたときに、表層の筋と深層の筋では異なる、というところから始まっています。筋線維をみると、インナーマッスルは基本的にはtypeⅠ線維(遅筋)で構成されています。

収縮する力は弱いけれど、その関節を安定させるように持続的にはたらいていて、疲労しにくい。一方、アウターマッスルはtypeⅡ(速筋)で、大きな力を発揮し、関節運動を起こします。このように筋の性質が異なるので、同じトレーニングでいいわけがありません。

インナーマッスルに負荷をかけたいときと、アウターマッスルに負荷をかけたいときとでは違うはずです。収縮することで関節運動が生じるものはアウターマッスルですから、多くのトレーニングはアウターマッスルのトレーニングになります。インナーマッスルは関節を安定させるためにはたらいているのですから、関節を動かさないようにするようなエクササイズがよいということになります。

たとえば、ボールの上でバランスをとるようなエクササイズとかは、インナーマッスルに適したものだと思います。

たとえば、脇の下にボールを挟むエクササイズがあります。内転のエクササイズと思われていると思いますが、脱力してボールから反発される瞬間、腱板を触れていると、グッと収縮します。上腕がもっていかれないように、その位置を保持しようと活動しているのだと思います。押しつぶすときではなく、脱力する瞬間が腱板にとって適切なエクササイズになっているのです。ですから、ギューッと押しつぶす必要はなく、軽くポンッでいい。

筋はギューッと思い切り力を入れて収縮させると疲労感を感じますよね。しかし、軽くポンッポンッと収縮したら、疲労もなく、何回でもできそうな感じがする。ということは、同じエクササイズでも負荷やスピードを変えるだけで、アウターマッスルとインナーマッスルのエクササイズになる可能性があります。5kgのダンベルを持ってインナーマッスルを強化しようとする人はいない。

その負荷ではインナーマッスルではなくアウターマッスルになってしまう。適切な負荷ではないと皆知っているんです。つまり狙った筋を強化するには適切な方法・負荷が存在するということです。』

『スポーツにおける肩の役割は、投げる、当たる、支える、泳ぐなどがあります。一般的には、肩甲骨に対して上腕骨が動いているという捉え方が主流でした。しかし、投球動作のフォロースルーでは、上腕骨の動きに肩甲骨が外転してついていきます。泳ぐ動作では、手で水を押さえていて、そこにからだを引き寄せて進んでいます。

体操の支える動作では手は床や鉄棒に固定されていて、からだを動かして技をしています。ラグビーのタックルでは、腕をもっていかれて肩脱臼することがあります。脱臼しないためには、腕がもっていかれそうになったら(水平外転強制)、肩を水平内転して、上腕骨にからだがついていくような動きで回避することができます。

こうしてみると、これまでの多くのエクササイズは、肩甲骨は安定させて、上腕から前腕のほうを動かすもので、その逆の、腕は安定させて、肩甲骨を動かすエクササイズも必要だと思います。たとえば、四つ這いや壁に手をついて、腕を固定した状態で肩甲骨を動かすエクササイズが挙げられます。

Zero positionでは腱板が安定した位置になるので、この肢位でのエクササイズは肩甲骨を動かすエクササイズになります。たとえば、腕を内外旋方向へ動かせば、腱板ではなくて肩甲骨の前傾後傾をエクササイズしていることになります。ちょうど、投球動作の後期コッキング期での最大外旋するときのlagging backする動きに似ています。』

『肩が痛いという例に対し、全身の可動性や筋力を改善しなさいという指導がなされる場合があります。これはヒトの運動を考えるときに、全体をみて、スムースでない動きがあれば局所にストレスを生じさせてしまうという考え方です。そういうふうにすると、たしかに痛みは軽減したり消失したりします。

しかし、全体の負荷が減っただけで、局所が治癒したわけではありません。そういうことは復帰するうえで必要なことですが、それだけでは不十分です。100%の力を発揮しようとしたら、局所も100点になっていないといけないだろうと思います。すると、全体をみる視点と局所をみる視点が必要になります。

局所をみるためには、これまで述べたように機能解剖学を熟知して、適切な方向や方法で行うことです。世の中にたくさんのエクササイズがありますが、形を真似してもダメなんです。肢位や負荷がわずかに異なるだけで効果が損われるだけでなく、リスクとなることもあります。臨床をしっかりやっておられるベテランの先生方は微妙な差を知っています。

それを私のような若造でもできるようになるためには、エクササイズを指導するだけでなく、常にクライアントに適切な効果が得られているかどうかを触って確認することだと思います。』